鈴木敦(演芸場席亭) 恩田えり(寄席囃子) ・【にっぽんの音】
案内役:能楽師狂言方 大藏基誠
鈴木:昨年4月父の跡を継いで7代目席亭に就任しました。 寄席では正月の元日から 年末まで365日落語を中心とした演芸を披露している場所です。 東京では新宿末廣亭、池袋演芸場、浅草演芸ホール、上野鈴本演芸場があります。
大藏:鈴本演芸場は165年の歴史があります。
鈴木:現存する寄席のなかで一番古いです。
大藏:出囃子、落語家さんが登場するときに三味線の音が流れてくるが、演奏しているのが恩田さん。
鈴木:ほかに紙きりとかやっている時にBGMとして、地囃子をやっています。 三味線は師匠がやりますが、他の楽器、太鼓、などについては前座さんがやります。 前座は曲が決まっていて、二つ目になると自分で曲を選択してお囃子師匠方にこれで行きますと言います。 真打になって襲名するときに、その名前の師匠がずーっと使っていた曲を受け継いで行います。(受け継がない場合もありますが。) お囃子の師匠は頭に入っていてパッと弾けないといけないわけです。
恩田:笑福亭鶴瓶の出囃子(どんこ節)を演奏。 柳屋三三師匠の娘道成寺を演奏。 人によって娘道成寺のいろいろな部分が使われます。 変わっているのは洋楽、チャイコフスキー(白鳥の湖)、三遊亭白鳥師匠が使っています。
鈴木:プロレス団体UWFのテーマ曲(Uーのテーマ)を使っている人もいます。
恩田:紙きりの時にはいろいろ即興でやったりします。 ウルトラマンの話でウルトラマンのいろんな曲を弾いたりもします。 寄席の雰囲気が好きで寄席の中で働きたかった。 東京では師弟制度がなくなってしまったので、国立劇場の伝統芸能育成機関があって、寄席囃子コースが昭和55年ごろにできて、育成しています。 私は11期です。 入った時は4人いましたが、卒業は2人になり、今現役では1人です。 兎に角寄席の空間とが好きです。 最前列の人って結構油断していて、歯を磨いている人がいました。(笑) お囃子部屋から見えるので。 これは末廣亭ですが、目の悪い方がヘルパーさんに連れられてきて一番前に座るんです。 カップスープへおもむろにポットを出して入れて、かき回して飲んで寝ちゃうんです。(笑) また起きてパンを食べたりして、好きな師匠の時だけ起きていました。
鈴木:今はコロナの影響で食べるもの、お酒などは中止になっています。 寄席も中止と言われて大変でした。 どん底で代替わりしたので気負わずにはできました。 中止になったものを生配信で復活させました。 昼の4時間、夜の4時間ものの形を変えずにやりました。 無観客だったので、反応がないので演者さんも苦労しました。 特に漫談など。 応援チケットを買っていただいて、演者さんへの援助をしたりしました。
恩田:子供がいると子供に合わせてゆくような傾向があります。 紙切りも子供優先でやっていました。 先の長いお客さんですから 。(笑) これ、やらかしてしまったな、というのはいっぱいあります。(笑) 最初のころは緊張し過ぎて、きっかけの言葉(音を入れる)がなかなか頭に入ってこなくて、そのタイミングを失ってしまったこともあります。 志ん生師匠と志ん朝師匠を間違ってしまったり。
鈴木:芸人さんが来ない時がありますが、落語協会に誰かいないか電話したり、上野近辺に住んでいる人に電話をしたり、やっています。 色物さんが二回出てくることもあり ました。
鈴木:日本の音とは、客席でお客さんが大笑いしている声、寄席囃子。
恩田:日本の音とは、衣擦れかなあ。楽屋で歩いていると裾の音がして、袖にいると衣擦れの音が近づいてきて、それがいつも耳にあります。 絹の着物だとあまり音がしなくて、前座さんが着ている合成繊維はばさばさ聞こえます。 誰が近づいて来るのか何となくわかります。