柳瀬博一(東京工業大学教授) ・コロナ禍で父を看取りわかったこと
東京工業大学でメディア論を講義する柳瀬さんは昨年5月、87歳のお父さんを看取りました。 時あたかもコロナ禍の真っただ中、入院中の面会もままならずお通夜、葬式もひっそり執り行ったと言います。 そんな中思いがけず納棺の手伝いをするはめになったことからお父様と最後に濃密な時間が持てたと言います。 コロナ禍で看取ったからこそ分かった肉親との最後の別れについて伺いました。
昨年5月20日に亡くなり、1年半近くになります。 お通夜もお葬式も何もできない、お骨になって帰ってくるまで会えない状態でした。 父はコロナで亡くなったわけではないんですが、ワクチンも普及していないし、治療もない状態だったので、最後に父にあったのは2年前の夏が最後でした。 「親父の納棺」という本にまとめました。
父は朝が早くて、日曜日に一緒にいる時間があるかないかぐらいでした。 母がカトリックで僕も洗礼を受けて居まして、父も隠居してからカトリックになって教会のボランティアなどを熱心にやっていました。 釣りも大好きで家庭菜園をやったり悠々自適の暮らしをしていました。 父が体調を崩して、コロナ禍で母も付き添うのをはばかられるような状態でした。 家に戻ってきましたが、母だけではとても無理だろうという事で特別老人ホームに入所することに決まりました。 病院の廊下で父とは母私と弟で10分ぐらい会う事が出来ました。(9/4) その後介護施設に入って一度も会っていないです。
リモート会議サービスが出来るように介護士さんに指導して、母と、私、弟、海外にいる妹夫婦をつなげて、それを12月、3月の2回行いました。 体調を崩して4月に入院して5月20日に亡くなりました。 私たち兄弟は父の臨終には立ち会えませんでした。 遺体が実家の和室に安置されましたが、何となくしっくりしないもやもやとした感じがありました。 翌日金曜日に葬儀会社の方が来ました。 段取りと予算についての相談がありました。 日曜日にお通夜、月曜日葬儀、近所の教会でやりましょうと言う事になり火葬場で焼いて終了というような段取りになりました。 コロナ禍なのでほとんど家族葬というような形になりました。
「着替えをするのでお父さんの一番好きだった服を用意してください」と言われてびっくりしてしまいました。 そう言った女性は納棺士の方でした。 白装束だと思っていましたが、どうも変わってきている見たいです。 母親が英国製の一流ブランドのジャケットを選びました。 僕が社会人になって父に送ったイタリア戦のネクタイも出て来ました。 結局下着、靴下、シャツなど全部選びました。 写真をとってもいいのか納棺士の方に聞いたら「いいですよ」と言ってくれました。 着替えの手伝いについて言われて兄弟で行う事になりました。 着ていたのは浴衣のような着物と、紙おむつだけでした。
父の体重は痩せて50kg前半だと思います。 パンツを履かせるために弟と足と腰を持ったのですが、結構重いんです。 足首を持つように言われて、硬直していると思って持ったら柔らかくて動くのでびっくりしました。 納棺士の方がいろいろなところをマッサージしていて、どうしてかと思ったら、温めると関節が柔らかくなるんです。 膝も曲がるし簡単にパンツを履かせることが出来て吃驚しました。 死体から生きている感じに変わるんですね。 シャツを着せる時に、シャツを裏返しにして手を通して、父の手を握って、空いた手でひっくり返すんです。 それを左右やるわけです。 父の手を握る時に、手を握るという事は他と比べて凄く情報量が多くて、一本一本全部マッサージしていてくれていたので、冷たいんですが手が柔らかくて、ぎゅっと握れるんです。 そこで死んでいるけれども生きている感覚に僕の主観がガチャンと変わったんです。 自分の良く知っている父の手でした。 過去のいろいろなことを思い出しました。
納棺士の方が父に話しかけるですね、「いいお洋服ですね。」「ネクタイ素敵ですね。」というように。 聞いたらいつもそうされているという事でした。 着替える時も薄化粧するときもずーっと話かけるそうです。 最初は儀式的な事かなと思ったんですが、やっているうちに違うと思いました。 これは死体ではなく親父だなと思いました。 亡くなっているけれども、ものではなく人なんだと、旅立つまでの最後のケアをしているわけです。 シャツを着替えさせている時に納棺士の方が「シャツの背中のところのしわをちゃんと直してください、そうしないと気持ち悪いじゃないですか。」というんです。 遺体だけれども死んだわけではなくて生きているんです。
納棺士の方は亡くなった人間とその周りの家族の方のつながりをちゃんと作ってくれるんです。 洋服選びから始まって、ネクタイ迄ちゃんと締めましたが、ネクタイ迄やったのは初めてだと言っていました。 二日間こんなに親父と一緒にいたのは40年近くで初めてでした。
納棺士の世界はどうなっているんだろうと思って、有名な納棺士の学校の校長先生に会いに行くことにしました。 先生は「東京の葬儀の質は低い。」と言っていました。 亡くなると病院から葬儀場に送られるケースが多い。 そこでのお通夜がほとんどです。 翌日同じ場所で葬儀を行う。 そのまま火葬場で荼毘に付される。 棺の中に収められた状態でのエンジェルケア、もっとゆっくり家族と出会う時間、お手伝いする時間を作ってあげたいが、東京の場合は物理的になかなかできない。 どうにかしてそういった時間をもっと増やせないものかと、話していました。
養老孟司さんとは個人的にも親しくしています。 東京大学解剖学教室の一番偉い方でこんなに死体を実際に扱ってきた人はいないです。 「死んでいるけれども生きている感覚に僕の主観がガチャンと変わったんです。」と言ったら、「それはねえ、お父さんの身体が三人称から二人称に変ったんだよ。」と言いました。 二人称になった瞬間に生きている生きていないにかかわらず、感じている当人にとっては生きている人なんですね。 このプロセスがきっちりやるかないかでは、人間にとって亡くなった人との関係性にとって重要なポイントなのかなあと思います。
親父ともっと話しておけばよかったと思います。 コロナ禍だったからこそ会えなかった1年半の喪失感は埋めようがないが、たまたま納棺士のかたが素晴らしい方だったので、最後のケア、エンジェルケアの当事者として僕ら家族が出来たという事。 ケアは生きている人にすることと思っていたが、荼毘に付されるまでの間も立派なケアの対象の時間であり、その時間をきっちり持ち、その時間がコロナ禍だったからこそ家族で向き合う事が出来た。 弔問客よりも亡くなった方と時間を積極的に持つという事を意識したほうが、きっちり看取れるのではないかと思います。