村瀬幸浩(元・一橋大学講師・日本思春期学会名誉会員) ・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕 性教育にかけた半生
1941年愛知県名古屋市生まれ、80歳。 高校時代はバスケット部キャプテン、文芸部を作って同人雑誌も出しました。(創刊号で終了) 東京教育大学を卒業後、和光高等学校の保健体育科教諭として25年間勤務。 その間総合学習として人間と性を担当、思春期の子供たちに正しい性知識と自分の身体を守るための大切さを伝えてきました。
1970年代、優生保護法の改正問題があり、中絶をもっと厳しくしようという法案がでて、それに対して女性を中心に社会問題が出てくる。 そことで授業に取り上げようという事が、私が性教育に足を踏み込む大きなきっかけでした。 性に関することは学んではいませんでしたので、勉強してこういう世界があるんだという事を知りました。 それから約50年が経ちます。 エロ本と猥談ぐらいの知識しかなく、結婚して無残な状況だという事を知りました。 これがきちんとクリアできなかったら、結婚生活は駄目になって行く、魅力がなくなってゆくという事に気が付いて、結婚してから3年後ぐらいに勉強を始めました。 これを高校時代に知っていたらという思いがあり、始めていきました。 教える価値があるなあと思いました。 学校内で了解を求めて性教育実践をスタートしました。 1982年、山本直英さん、高柳美知子さんらの"人間と性"教育研究協議会の設立に加わり、代表幹事となる。 1989年に高校を退職、 その後は大学で25年間性科学の講義を担当。 現在も講演などで性教育に携わっています。
2020年3月出版の「おうち性教育はじめます 一番やさしい!犯罪・SEX・命の伝え方」漫画イラストレーターのフクチマミさんと一緒に作った本。 20万部を超えるベストセラーになる。 親に読んでもらうのが目的でした。 いやらしいという思いがあるかもしれないが親の取り巻く社会の価値観、文化がそう言う風なものにしてきた。 平たく言えば男尊女卑です。 強力に押し込んだのが明治憲法です。 男が家庭を支配してゆく、女は支えるだけの役割という男尊女卑でセックスは下半身の面白おかしいものだというような文化を作ってきた。
女性だけ集まって月経とか勉強する、男はサッカーなどをやっているという状況でした。 私たちの言いたかったのは男女別生ではなく男女共生なんです。 相手のことを良く判らないと、学ばないと、面白おかしく作られた性情報ではパートナーとして生きてゆく力は絶対付きません。 結婚して月経に関することなど勉強し始めました。 「女性に関することを勉強するのはうれしいが、私も男の人のことは全然知りません」と妻から言われました。 男のことやセックスのことに関心を持つのはハスッパな女だと言うような見方をされてきた。
高校の先生になって、高校生のころから勉強すればいい関係を作れるという気持ちになりました。 日本では大人とか知恵を持った人がそうではない人に上から教えるという事を教育と言っている。 一番大事なのは子供の中にある力を引き出すことが大事です。 日本は教えるばっかりです。 子供が生まれてすぐに母親が抱く、一体感を沁み込ませてゆく。 自分は生まれてきて良かった、生きていることは良いことだという事のスタートになる。 そして性教育が始めまってゆく。 乳を飲むことによって唇が快感を感じる。 排便、排尿の快感、思春期を過ぎて性の快感となって性行為となって行く。 人は愛されたように愛する。 いじめたり、暴力は全部が全部ではないが、乳児、子供のころ大事にされて安心感を味わったことがないことと関係がある。 いじめたことを怒ったりせず、タッチングとリスニングこの二つが相手の存在を大事にすることの決定的に重要な働きかけです。 それをちゃんとやる親であること。 親の言葉のかけ方、笑顔、親のお互いの態度、暴力を見聞するとかないかどうか、そういったことの全部が子供のセクシャリティー、性のあり方を形作っている。 愛も暴力も本能ではない、と言っています。 学習によって身に付ける能力であり感性だと思っています。
好奇心と疑問が出てくると言葉による教育という事になります。 「僕はどこから生まれてきたの」という質問に対しては、まず逆に聞き返したらと言います。 間違っていたら、ブー、合っていたらピンポン。 赤ちゃんが生まれる専門の通り道があると言いますが、子宮、産道とかを話すには知識がいります。 おしっこが出るそばに普段は閉じている柔らかい管から出てくると言います。 性に関することを使い慣れることが大事です。知識は勉強すればできるけど意識は行動を通してしか変わらない。
1982年 科学、人権,自律、共生という4つのキーワードをもとに子供と共に性のあり方や生き方を考える性教育の実践研究団体、"人間と性"教育研究協議会を、山本直英さん、高柳美知子さんらと立ち上げました。 研究サークルが全国で出来ていきました。 忙しくなって多い時には1年間に170回ぐらい講演をおこないました。 学校との両立が出来なくなってきて、辞めると経済的にも厳しくなるので家族会議をしたら、「辛いことがあるならやったら」と言われて、その言葉で励まされました。 性教育だけになり気持ちが楽になりました。
エイズ問題も起きてきて、国も性教育とエイズ教育とをくっつけて性教育をしなくてはいけなくなってきた。 1992年は性教育元年と言われています。 先生方はパニックになり研究会に殺到してきました。 その流れに対して苦々しく思っていた人たちがいました。2002年に学校教育に目を向けるようになります。 2003年に学校ではこんなことを教えていると新聞に掲載されました。 マスコミも良く判っていない時代だったので乗ってしまい批判を受けました。 委縮して後退していきました。 今でも学校は停滞、後退しています。 それに代わってネットとかで性教育の発信が広がってきています。
これからは第一に男子にきちっと教えてゆくことが必要です。 二番目には性と暴力との問題があり、性と主体性、性と暴力との問題をもっと重視してゆく必要があります。 快楽の問題は全く除外されてきました。 快楽を卑しいと捉えるのではなくて、生き甲斐、生きる意欲、生きるエネルギーに繋がってゆく問題だという事にして、きちっと味わい表現する力を身に付けてゆくことを位置づけてゆく必要があります。 あと性の多様性の問題です。 幸せになるための教育、幸せに生きるための性教育に変ってゆくためには、失敗を恐れて何もしないというのではなく、失敗があったら立ち直れるように切り替えていかないといけないと思います。 そのためには親自身のセクシャリティーが問われて来ています。 日本人の意識を少しずつ変えていきたいですね。