柳家小ゑん(落語家) ・落語と鉄道と私
明治5年10月14日に新橋、横浜間で初めて鉄道が営業運転を始めてから150年を迎え、鉄道のみならず鉄道文化全体に光があてられています。 そんな中、東西の落語会で鉄道や鉄道ファンを取り上げた鉄道落語と呼ばれる新しいジャンルが話題になっています。 鉄道落語の産みの親である第一人者、そしてご自身も鉄道マニアであるという落語家の柳家小ゑんさんに鉄道落語が生まれたきっかけ、ファンや関係者の反応、落語家の目線でみる鉄道や鉄道ファンの魅了などについて伺います。
昭和23年(1953年)東京都目黒区生まれ。 昭和50年1月に5代目柳家小さん師匠に入門、昭和54年二つ目に昇進した時に小ゑんという名前を使い始める。 昭和60年9月真打に昇進、三遊亭 圓丈さんと共に新作落語を作って、古典と新作の二刀流として現在活躍。
新作落語は二つ目のころから作ってやっていました。 代表的なのが「ぐつぐつ」ですね。 おでんの種を擬人化した話。 「銀河の恋の物語」も今でもやっています。 鉄道落語では最初に作ったのが「鉄の男」です。(20年ほど前) 新作落語会ではやりましたが、寄席では無理だろうと思って4年ぐらいやりませんでした。 池袋演芸場でやったら、受けました。 落語をよく聞きにくる或るおじいさんがいて、面白かったと言われて、実は落語よりも鉄道の方が好きだというんです。 それからやるようになって、「鉄の男」を全部やると40分弱あるので、二つにわけて短くしてやったりしています。 鉄道ファンだけを集めてやったこともありますが、マニアの反応は凄いですね。 「鉄寝床」というのもあります。 普通の「寝床」がありますが、そのパターンで、大旦那が鉄道マニアなんです。 模型が好きで、長屋の人を集める。
古今亭駒治さんが鉄道の戦国絵巻みたいな、鉄道の擬人化、を作って聞いたら面白くて、一緒にやるかという話になりました。 やっていたら、上方にも二人いて、4人で鉄道落語会を年に一回やっています。 三遊亭ときんさんが私の話の「恨みの碓氷峠」をやりたいという話がありまして、30分ぐらいの話ですが。 ミステリー調の話です。 「鉄ちはや」は元ネタが「ちはやぶる」です。 小さん師匠の13回忌が末廣亭であって、師匠の得意ネタを弟子が日替わりでやる事になって、一日が埋まらなくて、「ちはやぶる」だったが、こちらに振られて鉄の「ちはや」でいいからやってくれと言われて、その時には普通の「ちはやぶる」をやったんですが、後で「鉄ちはや」が気になって、新作にできないかなと思って調べたら、竜田川という駅があるんです。 千早という駅もあるんです。 これは出来るのではないかという事で作ってしまいました。 池袋演芸場でやりましたら物凄く受けました。 CDも作りました、 「鉄指南」というのもありますが、「あくび指南」と似たようなものです。
僕は兄弟3人で末っ子です。 母方の田舎が岡山で、小学校に上がる前ぐらいから姉と兄と3人で必ず夏休みに行っていました。 24時間ぐらいかかりました。 蒸気機関車でしたが、途中から電化されました。 貨物列車が材木、牛、豚などを積んでいました。 模型も沢山作りました。 子供も鉄道好きになり、「あさかぜ」がなくなるというので、「あさかぜ」に子供が乗って、模型の「あさかぜ」をそこで走らせたいという事になり、模型の「あさかぜ」を作って、寝台車のベッドで走らせました。
うちは目蒲線で昔は3両編成でした。 今は観光でSLが走っていますが、乗るとあの速度と揺れがたまらないですね。 岡山へ行った当時の原風景をしっかり覚えていますね。夜行列車がなくなってしまったのは残念ですね。
今度「鉄の芝浜」というのを作りたいと思っています。