2022年10月12日水曜日

名取紀之(編集者)           ・鉄路に夢を紡いで

名取紀之(編集者)           ・鉄路に夢を紡いで 

1957年東京生まれ、65歳。 子供のころから鉄道の魅力に惹かれ26年間に渡って月間鉄道雑誌の編集長を務めました。  編集局長を最後に定年退職し、自身で鉄道図書出版の事業を立ち上げ、出版した書籍はいずれも高い評価を得ています。  

今年は日本の鉄道150年という事ですが、残念ながらコロナで鉄道会社は元気がなくなってしまいました。  コロナ前にはいろいろの企画があり楽しみにしていました。  イギリス、ドイツではの150周年記念では物凄く盛大な国家的なイベントでした。  イギリスでは創業期から近代期まで次から次にやって来るような素晴らしい企画がありました。  日本でも期待をしていたのですが、ちょっと残念でした。  JCIIというフォトサロンで写真展はやっています。  岩波書店が出版した「汽車の窓から」という本では、東海道線を東京から大阪までずーっと撮影をし続けた記録ですが、この中からセレクトしたもの65点を展示しています。  これをぜひ見ていただければと思います。  

鉄道100年の時は国鉄でした。   1972年(昭和49年)で国鉄が総力を挙げていろんなイベントを行いました。   一番有名なのは、今は京都鉄道博物館になっていますが、蒸気機関車館を作りました。  全国から蒸気機関車を集めて動体で保存しようという壮大な計画でした。    リニアモーターカーが初めて浮き上がる姿を1972年に出来ています。(国立市の鉄道技術研究所で公開)  

小学生のころ鉄道模型に興味を持って、そこから鉄道に引き込まれて行きました。    西大寺鉄道の小さいジーゼルカーを模型に作りました。  紙で作りました。  ラッカーで色を塗って、電気屋さんからモーターを買ってきて、モーターを取り付けて動かしました。  当時は行ってみないと判らないものだらけでしたのでとにかく行って観るという事でした。    1972年は「ディスカバージャパン」を始めた時で、心に突き刺さってあっちこっちへ行こうと思いました。    学割、周遊券で安く利用が出来ました。  北海道の16日間の周遊券を利用して1泊も宿に泊まらないで帰ってきたことがありました。 (すべて夜行列車で移動)   夜行列車の雰囲気は独特でした。  ボックス席でいろいろ大人とおしゃべりしたり、外の世界と接するという事では、学生としては凄くインパクトがありました。   

都立高校ではアルバイトは出来たので、国鉄の本社に行ってアルバイトをしたいという事を話して、雇ってもらう事になりました。  本が好きで本屋さんでもアルバイトをしました。  大学に入ってから編集に興味を持って、アルバイトとして編集のアシスタントに使ってもらうようになりました。   休刊が決まってしばらくしてから、読者の方が来て「長い間ご苦労様でした。」と言って一升瓶を持ってきました。   こんなに愛される仕事があるんだと思いました。  あの光景というのは原点ですね。   その後の僕を決定付ける瞬間でした。   鉄道は趣味にした方がいいと思って、印刷会社に入って5年間勤務しました。  活版印刷が終わってオフセット印刷に移行する寸前でした。  活版印刷がリアルに見れた最後の世代でしたので、いい時に印刷会社で勉強させてもらったと思いました。  それが後々凄く力になりました。    

1986年出版社に転職、鉄道雑誌『Rail Magazine編集長となる。(29歳)   当時は国鉄の巨大な組織だったので、この若造がというような雰囲気でなかなか相手にしてくれずやりにくかったです。  1987年に国鉄が分割民営化する。  国鉄という共通言語がなくなってしまい、分割民営化されると地域のジャンルになってしまう。  雑誌の方向性を見出すのが大変でした。  分割民営化はエポックとして雑誌が売れる一つのベースにはなりました。   国鉄の色ですが、東京で使っていた車両が地方のどこに転配されても、不自然ではない色が国鉄の色なんですね。  分割民営化されるとそこだけの色になってしまうわけです。  国鉄は全国区ゆえの凄さはありました。   

今では雑誌だけではないかも知れませんが、興味の対象がスポットになってしまいました。2017年に退職、個人で図書を出版する事になります。  納得のゆく本を作りたいと思いました。   売れる売れないを最優先にしてしまう事を辞めたいなと思いました。   「地方私鉄1960年代の回想」「C62重連最後の冬」を出版し、高い評価を得ました。

インダストリアルナロー  営業用の鉄道ではなくて、鉱山、林形、農業とかのために敷設された鉄道で、一般の人は基本的には乗れない。  そういったものに興味があって、インダストリアルナローと呼ばれています。  在来線よりも狭い軌道です。  そういったところに鉄道の原点が残っています。 世界各地に出かけて行っています。(観光用、保存用は除いています。)   生活路線として生きているナローゲージに魅力を感じていますが、残念ながらどんどんなくなってしまっています。   石炭運搬の廃止、森林伐採の廃止などにより廃線になってきています。  

日本の鉄道は産業として見てみるといい方向に行っていると思いますが、趣味としてみると段々味気なくなって来ました。