角田鋼亮(指揮者) ・〔夜明けのオペラ〕
東京芸術大学指揮科を修了し、ベルリン音楽大学に留学。 2008年には第4回カラヤン生誕100周年記念の同コンクールで2位を受賞。 これまでに読売交響楽団や東京都交響楽団など日本各地の交響楽団を指揮し、去年はNKH交響楽団との共演を行いました。 オペラでは日生オペラ、ヘンデルとグレーテル、アラジンと魔法のヴァイオリンの全国ツアーに参加。 2019年に愛知芸術文化選賞、文化新人賞を受賞、若手指揮者として全国を飛び回って活躍しています。 現在は名古屋のセントラル愛知交響楽団の常任指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務めています。
オペラ関係の指揮も多くなりました。 もともとオペラが大好きでシンフォニーと両輪にかけてやって行きたいという気持ちが強かったので、嬉しいです。 母親がピアノ教師をしていて、3歳ぐらいでピアノを始めました。 音楽教室に通い始めて音楽は楽しいなと感じ始めました。 母親がクラシックの演奏会などにも連れて行ってくれるようになりました。 或る時小澤征爾さんが指揮する子供向けのコンサートがあって、オーケストラの世界に出会いました。 ヴィバルディーの「四季」の中の「夏」を演奏したのを覚えています。 音楽はいろんなイメージを与えてくれるものなんだという事を知って演奏の面白さを知りました。
*「四季」の中の「夏」 作曲:ヴィバルディー
小学校のころから物語を作って音楽をはめるみたいな作曲を良くしていました。 父親の転勤に合わせて名古屋の小学校に3年生の時から行きました。 ピアノ、作曲、ドラム、とかいろいろやりました。 小学校6年生から中学1年生にかけてはパリのサル・プレイエル というホールで自作曲を演奏する機会がありました。 シンバルを叩かせてもらったりしました。 中学高校一貫校でオーケストラ部があって、そこの学校に入りたいと思って入って入部して、最初は大笛をやりました。 顧問の先生が私がピアノや作曲をしていたことを知っていて、中学3年生から指揮をやってみないかと言われ、指揮を習い始めました。 高校を卒業するまで指揮パートをやりました。 おおらかな学校で物理、歴史などはいいから音楽の勉強をやりなさいと言われてやっていました。 仲間にも恵まれて、今東京フィルでコンサートマスターをやっている近藤薫君とか仙台フィルでインスペクターをやっている稲辺敦君などの同級生もいました。 園田さんは吹奏楽部でトランボーンを吹いていました。 園田さんが東京芸術大学指揮科に入ったので、芸大に入るための勉強方法とか伺いました。 顧問の先生がウインフィルと繋がりがあったりしてウインフィルのメンバーが我々のオーケストラの指導をしに来てくれたりしました。
東京芸術大学指揮科に入る事になりました。 大学3年生の時に、仲間たちと交響曲を勉強していきたいといことで、モーツアルトだけをやる事を組織してみました。 30人ぐらいです。 交響曲をちゃんと演奏するには、モーツアルトが残したオペラのことを知らないと演奏できないという事に気付き始めて、いろいろオペラをやり始めました。 バリトンの上江隼人さんとか、合唱団の中には小林沙羅さんとか、今は第一線でで活躍している方がいました。 一番印象に残ったオペラは「フィガロの結婚」です。 いろいろなことを全部自分でやりました。
*「フィガロの結婚」から「もう飛ぶまいぞこの蝶々」 作曲:モーツアルト
高校生の時にベルリンフィルが来日して、ブルックナーの交響曲第5番に深い感銘を受けました。 その時の指揮者がクラウディオ・アバドでいつかベルリンに行きたいと思っていました。 ベルリンに留学することになりました。 言葉の中に凄く音楽の要素を感じている。 ドイツの哲学が音楽の形式と結びついていて、音楽の背景に言葉とか哲学がしっかりとあるというところが、日本だけでは感じられなかったところかと思います。
ベルリンフィルはリハーサルから本番まで付きっ切りで見て居られたりしました。(5年間) 2006年、第3回ドイツ全音楽大学・指揮コンクールで最高位を獲得。 2008年、第4回カラヤン生誕100周年記念の同コンクールでも2位入賞。
オペラの指揮で心がけていることは、言葉ありきなので、言葉を自分の身体にいれるという事と、ドラマなので、人と人の関係性を頭にいれておくこと、を大事にしています。
来年、モーツアルトのオペラを演奏会形式で上演する事になっていて「ドン・ジョヴァンニ」から始めて「魔笛」とかやってゆく予定です。
*「ドン・ジョヴァンニ」から「お手をどうぞ」 作曲:モーツアルト