原武史(政治学者・放送大学教授) ・鉄道は人生にとって大切な文化
1962年東京生まれ。 専攻は日本政治思想史ですが、鉄道や団地の研究にも造詣が深く、関連の図書も多数あります。 鉄道に関する最近の出来事では福島県と新潟県を結ぶJR只見線が10月1日の朝、2011年の豪雨災害から11年振りに全面復旧したというニュースがあります。
只見線の復旧は画期的な出来事だと思います。 大赤字であれば災害で不通になってしまうとバス路線に転換するとかという話が出てくるわけですが、沿線の自治体、福島県が何度もJRに対して話を続けて10年以上かかって復旧したという事で、それを後押しした郷土写真家の星賢孝さんの存在も大きいです。 沿線の風景の写真をSNSに上げて大きな反響を生みました。 只見線は福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ路線です。 星さんを主人公にした映画(「霧幻鉄道 只見線を300日撮る男」)が出来ました。 只見川の風景が美しい。 海外の人たちも惹きつけます。 廃線させるかどうかは今までは地元の意向だけで決められていたが、今回のケースは、風景が地元の人たちだけではなくて、それ以外の人たちを強く惹きつけることが判ったという事が大きなことです。
父親が東京生まれ、東京育ちでした。 鉄道の黄金期を少年、青年期を過ごした。 新橋で育っているので、鉄道開業の地で育ったという事は大きいです。 1972年C62蒸気機関車の模型を父親から買ってもらいました。 父親は7月に亡くなりました。 鉄道100周年(1972年)の時には記念のSLに乗ることが出来ました。 C57を新橋、横浜を一往復しました。 乗車券は10枚だったと思いますが、抽選で当たりました。 中学時代にはある展示会のために国鉄からダイアグラムを手にいれました。 横浜線の研究でしたが、何度も国鉄本社に行っているうちにもらえました。
高校時代鉄道研究会に所属して夏休み(1978年)1年生の時に半月で北海道全線に乗りました。 今と違って物凄く線が多かったです。 70年代の国鉄は一方で近代化、高速化を進めていて、他方では今では信じがたいような列車がまだ存在していました。 その一つが新宿から松本に行く列車でした。 昭和の初めに中央線が甲府迄電化されますが、その時に登場したのが新宿を12時半にでる長野行きの客車があり、これがそのまま残りました。 長野から松本になるがルートは変わっていない。 電気機関車が旧型の客車を引っ張るその編成も変わってはいない、そういう列車が70年代にも新宿駅にあったという事です。 2,3分おきにオレンジの電車が動いていましたが、新宿駅の3番線だけは時が止まったように動かない。 受験で塾に行くために中央線を使っていましたが、わざとその列車に乗って弁当を食べたりしていました。
鉄道は明治の初めにできて近代化の象徴みたいになりましたが、もうちょっと遡るとペリーの来航があり、小型の蒸気機関車を持って走らせていてインパクトがあったと思います。 急いで鉄道を完成させた。 60年代まで鉄道が主役で高速道路が出来るのは60年代以降となり、モータリゼーションもそうです。 鉄道150年に歴史のなかで、100年ぐらいは鉄道が輝いていた。 国鉄の赤字路線問題が深刻化するのはその後です。 人生の大事な節目(出征、結婚、就職とか)の中で鉄道が必ず出て来ます。
国鉄の分割民営化が1987年に行われる。 鉄道150年の歴史の中では最大の分岐点ですが、徐々に完全民営化がなされる。 在来線の廃止が地域を衰退させてゆく面があります。 北海道は網羅的に線があり、札幌以外でも栄えていた都市はありました。 今はどんどんなくなって行ってしまって、都市は衰退していって札幌に一極集中することになる。 それ以外のところでも同様な現象が起きている。 バスに代替すればいいのではないかという見方があるが、バスになるとメチャクチャ時間がかかる。 学校にも通えなくなる。 三陸鉄道が開業したことによって、通学区域が拡大して喜ばれた。 バスに転換すると観光客が来なくなってしまう。
『歴史のダイヤグラム 鉄道に見る日本近現代史』を最近出版。 谷崎、三島が「目的地に向かって早くゆくだけが、鉄道の魅力ではないだろう。」と言っているわけです。 それに耳を傾ける感じではない。 谷崎が言っているような景色を見る感覚が今は薄れてしまっている。 小松左京が予想した2020年の東京、まさにコロナ禍を言い当てている。 日本の鉄道はスピード化が究極のサービスだという事でずーっとやってきたが、コロナになってテレワークが普及してしまうと、移動しなくて良くなる。 今まで目指してきたサービスの方向性を問われて来た。 そうなると鉄道が持っている別の価値に注目しなければけない。 それは何なのかというとパソコンに向かい合っているだけでは決して味合う事の出来ないような体験が、列車に乗ることによって出来るんだという事をもっと宣伝しないといけない。 今までは列車に乗っている時間は無駄なものであって、1秒でも減らすことが最大のサービスだという事でやってきたわけです。 その発想を転換しないといけない。
函館本線の小樽、長万部間が廃止することが決まりましたが、単に線路を撤去するだけではなくて、100年以上の記憶を同時に失わせることになる。 三陸鉄道の復旧では出来るところから動かすという事で、動く列車に手を振ったんですね。 鉄道の持っている象徴性、鉄道が動き出すことによって地域の復興が動き出したという事を象徴しているからだと思います。 駅舎は人々が集まる場所ではあるが、バス停は目印に過ぎない。
中国、韓国、台湾などでは新幹線もあれば在来線の特急、普通列車などもそのままあり、お客は選択ができる。 日本では事実上新幹線でなければいけないようなダイヤ改正されてしまう。 日本は過度の新幹線信仰があって、地域の日々利用している便利さなどは敬遠される。 しわ寄せを地元が負担をしている、歪んだ構図がある。 路面電車はバリアーフリーだし環境にも優しい。 東京でも復活させようという考えもあるようですが。 今は荒川線だけです。
阪急電鉄の小林一三は客がいなければ客を作り出せばいいじゃないかという事で、郊外に住宅地を作ってゆくとか、終点の温泉地をとか、当時誰も考えていなかった発想で、新しい土地の需要を作り出すわけです。 鉄道は時代によって或る役割を変えてきたという事があるわけです。 今は時代の境目に差し掛かっていると思います。 地球環境問題、鉄道は二酸化炭素の排出量は少ない、バリアーフリー(今後高齢者が増えてきて運転ができない人が増えてくる。)