2022年5月27日金曜日

高澤秀昭(元プロ野球選手・保育士)   ・【みんなの子育て深夜便☆ことばの贈りもの】首位打者から保育士に!

 高澤秀昭(元プロ野球選手・保育士)   ・【みんなの子育て深夜便☆ことばの贈りもの】首位打者から保育士に!

63歳になって保育士として第二の人生を歩み始めた元プロ野球の選手がいます。  高澤秀昭さん、且つてロッテオリオンズで首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞などに輝いた名選手です。   高澤さんは還暦を過ぎてから何故保育士を目指したのか、孫のような園児たちと一緒に過ごす毎日はどんな喜びがあるのか、伺いました。

現役を引退してから30年ぐらいになると思います。   出身は北海道沙流郡門別町です。  田舎なので野球のチームはなく、一人で石を投げたり、打ったりしていました。  本格的に野球を始めたのは中学で野球部に入ってからです。  高校では苫小牧工野球部に入りました。その後地元企業から野球をやらないかと声を掛けられ、次にロッテからドラフト2位で声を掛けられました。  アマチュア時代には中央の大会には一回も出たことがなかったです。   ロッテオリオンズでは首位打者、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回 、オールスターではMVPにも選ばれました。  

故障がちで30歳を越えると一気に身体が動けなくなりました。  フェンスにぶつかって膝を骨折、デッドボールでも何度か骨折しましたし、肉離れで腰、肩などを痛めました。   13年間プレーしましたが、一軍でプレーできたのは7年ぐらいです。  34歳で引退しました。  その後コーチを17年やらせてもらいましたが、向いていないというか、強い指導力がなかったと思います。   その後、少年野球教室『マリーンズ・アカデミー』子供たちに指導などを行なっています。  保育園、幼稚園にも出張していって、ボールの扱いについて伝えることもしました。   子供の喜んでいる姿を見るのが凄くおもしろいなあと思いました。  10年間教えました。  野球の世界で40年間出来たことは感謝もしていますし、自分自身もよくやり切ったなあと思います。   

次に何をしようかなと思った時に、保育の仕事は面白いのではないかと思いました。   資格を取らないと保育園では働けないという事で、61歳で保育士の資格取得を目指して大原医療秘書福祉保育専門学校に入学しました。 周りは18~20歳ぐらいがほとんどでした。  二軍のコーチ時代は同年代を指導していたので、比較的すんなり慣れました。 2年間の中で色んな教科の座学、実習授業、ピアノの授業、行事などの実践に即した授業なども行います。   勝手が判らず随分と戸惑いました。   ピアノは全然やったこともなく、自宅近くのピアノ教室にも週一度通って、クリア出来ました。   野球をやっていたころにハーモニカは遊びで吹いていました。  無遅刻無欠席で過ごして、今年3月には卒業と同時に保育士の国家資格を取ることが出来ました。 嬉しかったです。  

就職にあたって、今回人生で初めて履歴書を書きました。  初出勤はドキドキでした。  子供の笑顔を見ながら仕事ができるという事は、選んでよかったなあと思います。    現在の担当は1歳児です。   メディアで取り上げられたりしたので、保護者の方と気持ちを通じ合えるのに役立っているのかなあと思います。   

プロ野球選手は100人入って来ると100人が辞めざるを得ないので、若い選手が結構辞めてゆきます。   こういう道もあるんだなという事を参考にして貰えたらなと思います。家内が大分前に亡くなって娘と二人だけですが、これをきっかけに随分話すようになりました。  こうやって導かれたとか、こうやって生かされているという事を随分感じます。 妻を亡くして人間いつかは死ぬんだと、残り時間をやりたいことをやりたいと思っています。  自分はまだ体が元気なので世の中の何かに役に立ちたいという思いがあり保育士を目指しました。