出光佐千子(出光美術館館長) ・【私のアート交遊録】仙厓さんのゆるかわワールド
仙厓は僧侶としての顔以外に画家としても大活躍、世に送り出した作品は可愛すぎて病みつきになるゆるかわな日本画として一目見ただけでも見るものを幸せな気分にしてくれると今でも高い人気を誇っています。 その仙厓の日本随一のコレクションを誇るのが東京の出光美術館。 出光美術館は東洋古美術を中心に国宝2件、重要文化財を57件をふくめおよそ1万件を所蔵する美術館です。 中でもおよそ1000件からなる仙厓コレクションは質量ともに日本一、今年1月には仙厓ベスト100アートボックスを纏めています。 出光美術館の出光佐千子館長は仙厓は可愛くて思わず笑ってしまう作品ですが、実はなかなか正面切って言えない辛辣なことを緩い絵に包んでいるんですと話します。 時代を越えて人々の心を癒す仙厓への絵の秘密、緩さの秘密を探ります。
仙厓は禅のお坊さんで厳しい修業を積んだお坊さんです。 仙厓の父親は貧しい農家の生まれで、岐阜県に生まれました。 仙厓は11歳の頃清泰寺で修業を積んで出家して、義梵という僧号を得ました。 19歳の時、武蔵国久良岐郡永田(神奈川)の東輝庵に住する月船禅彗の元でさらに修業を重ねてゆきます。 白隠とは絵のスタイルが違って、最初は狩野派を学びますが、独学で自分のオリジナルが出てゆくような、凄く人間的な味わいのあるようなものが多いわけです。
「〇、△、□」の作品 辻惟雄先生はこれは「おでん」じゃないかと言っていますが。 一説には〇が禅宗、△が真言宗、□が天台宗と言うように仏教に3つの宗派を象徴させて組み合わせたという説もありますし、仏教と儒教と神道の3つの三教一致の思想を示したという風に考えられたりして、様々な解釈があります。 よく見るとどこから描いたのか判らず、墨の濃さから見ると〇が一番濃くて、〇、△、□と言うのが□、△、〇と言う風にも見えて面白い。 博多の聖福寺に収められていたものですが、仙厓が来た時には伽藍が崩れていて、何とかしなければいけないという思いがあったようです。 現代アートのような、いろんな考え方を思い起こさせてくれる絵です。
「一円相画賛 」 左に「これくふて茶のめ」と書いてあって、右側に大福もちのような〇が描いてあって、「大福もちを食った後にお茶を飲んで」と言っている。 一つの円相を画いて真如、法性等を表すことをいう。 色即是空にひっかけて、これ=是 くふ=空 とダジャレ的なものだと思います。 単なる〇は大福もちにも見える、円相をもっと深く学びなと言うような思いがあったものと思います。 毎日円を描き続けてみるのもいいかもしれません。 心が穏やかな時には綺麗な円が描けます。
「指月布袋画賛 」 子供たちと戯れる布袋さんのほのぼのとした情景、子供の手は両手を上げている。 両手の先に丸いお月さんがある。 絵の横に「お月さん幾つ十三七つ」と書いてある。 当時はやった子守歌が書かれている。 月は描かれてはいなくて我々には見えないところに月がある。 布袋さんが遥か見えない月を指さしているところが重要で、禅の言葉に「指月」の教えと言うのがあり、指は経典を表していて、月は悟りとか真理を表している。 お坊さんは一生懸命経典を読んでいるけれども、それは布袋さんの指先を見ているようなものであって、月すなわち経典の奥にある真理を理解し読み解き悟りの境地に行かなければならない、と言うのが「指月」の教えです。 祖父・出光佐三がこの絵を見てほれ込んで仙厓を集めるきっかけになった作品です
最初は禅僧に対して描いていたが、後に一般の方に対しても描くようになったようです。 出光美術館には仙厓の作品だけでも1000点あります。
「牛若弁慶五条橋画賛」 おそらく庶民の子供のために描いたのではないかと思います。弁慶が薙刀を振るっているが、残像があり今風の漫画です。 「蝶々とまれ、なたねの花こふてくなしよ」と書かれている。 蝶々は牛若丸のことを言っていて、牛若丸は両手を広げて蝶のように舞っている。
本当に上手いのかと思う様な絵ですが、実は筆の動きとか本当に上手くて、狩野派できちっと勉強してんるんです。 何故か技巧的なものは描かない。 仙厓の絵の面白さは技巧を越えたところにあって、仙厓は外画の法と言うのを途中から言い出す。 仙厓の絵にはルールがない、自由に見てくださいという事です。 虎の絵を描いているがどう見ても猫にしか見えない。 脇に「猫か虎か」と自虐的に書いています。
蛙が座禅を組んでいる絵がありますが、座禅を組むだけなら蛙もできるよ、という事が書いてあって、座禅を組む弟子はそれを見てドキッとするわけです。
仙厓が生きた時代は地震、天明の大飢饉があったり災害も多かった。 寛政の改革もあり厳しい江戸中期の時代で庶民は厳しい生活をしていた。 心をほっとさせるような絵で励ますというような思いがあったと思います。 既成概念を思い切って打ち破ろうという思いがありました。
絵は一回で心に入ってゆくし、「呵呵大笑」と言って禅の世界では重要で、笑う事によって無心になる、無邪気になることで悟りの境地に近づく事になるわけで、仙厓の場合は笑わせておいてよくよく見ると厳しいことを言っている。 「さじかげん画賛」と言って、おおきな匙が一つ描かれているだけのもの。 「生かそふと ころそふと」と書かれている。 夫婦げんかで来た人に渡したと思われるが、「相手を生かそうと殺そうとあなたのご自由にどうぞ」という事です。 家庭円満な夫婦になったのではないかと思います。
出光佐三の家は藍染め問屋で、美術が好きでたまたま「指月布袋画賛 」を見て恋に落ちたと言ったそうで父親に言って購入したそうです。 仙厓を軸に東洋コレクションを収集してゆくわけですが、90歳を越えて「自分の人生は美にリードされてきた」と言う言い方をします。 出光佐三は仙厓の絵から人間尊重と言う哲学を編み出してゆくわけですが、〇〇主義なんてどうでもいいじゃないか、人間が大切なんである、という事でした。 仙厓が意図したところは経典の意味ではなく、これを見た方が幸せになってほしいという願いが、一本あって、出光佐三の胸に来るものがあったんだと思います。 出光の会社の理念にもなっていますが、「人間第一」と言うのを仙厓から教えられたものだと思います。
私は美術とは関係ない大学でしたが、実家が美術館と言う事もあり、何となく小学生のころから見てきました。 楽しそうに話をしている学芸員を見て、学芸員を目指しました。 ある人から「出光佐千子さんが文人画に惹かれるのは判ります、だって仙厓から始まったじゃないですか」と言われて、アカデミックな世界ではなくて、ルールにはまらない世界に憧れて生きてきたんだと、そこで初めて気が付いて、私の原点もやっぱり仙厓にあったと思いました。 父から「一度ゼロに戻って物事を考えなさい」と言われて、一番大切な事って何だろうと思えて、非常にシンプルに物事を考えられ、すぐ次の行動がわかると言いますか、仙厓に教えられた教えだと思います。 お勧めの一点は「堪忍柳画賛」です。 堪忍柳という柳の大木の絵があり、その横に「気に入らぬ風もあろうに柳かな」という仙厓自身の句があります。 会社倒産した人がこの絵を見て、今の自分は強風に吹かれている柳じゃないかと思って救われたという話も聞きました。 祖父の写真の替わりに支店にも飾られました。