2022年5月18日水曜日

三宅宏実(女子ウエイトリフティング)  ・【スポーツ明日への伝言】バーベルよ、ありがとう

 三宅宏実(女子ウエイトリフティング オリンピックメダリスト)  ・【スポーツ明日への伝言】バーベルよ、ありがとう

三宅さんは2004年のアテネ大会から女子選手最多タイの5大会で連続出場を果たし、ロンドンで銀、リオデジャネイロでは銅メダルを獲得しました。  去年の東京オリンピックを最後にバーベルを置いた後、現在は実業団のウエイトリフティング部のコーチとして後進の指導、育成に当たって居ます。  

東京オリンピックまでは記録無しはなかったので、はじめての経験をしました。   現役でやっていたのと教えるという事は全く別もので、伝えることは凄く難しいなあと日々葛藤しています。  自分自身が出来ていたこと、感じていたことを言語化して相手に判り易く伝えることは凄く難しくて、言葉に悩んだりとかしています。  減量と言う縛りは無くなったんですが、やはりある一定な体重は越えたくないという思いはあるので、体調管理をしながら毎日体重計に乗っています。   現役の時のは一日8回ぐらい乗っていました。   東京オリンピックでは49kg級でした。  最初は53kg級にも出ていました。  2011年6月に53kg級でスナッチ、ジャークで90kgと117kg合わせて207kgという記録を持っていて、翌年のロンドンオリンピックでは48kg級でトータル179kgで銀メダルを獲得。  5kgの減量はきついものがありました。  

2012年前後は心技体と一番整っていて、記憶も伸び心の成長もしていた時期だったので、一番充実していた時期でした。  世界に近づいて来ていると思いともっと頑張ろうと練習が出来て充実していました。   何度か正しいフォームでやると突然重さがゼロに感じるようなことがありました。  そうなるために毎日の練習が必要になってきます。   父の練習メニューをこなしてゆくことでオリンピックへの道が開けたと思います。  父(義行)は メキシコオリンピックの銅メダリスト、叔父(義信)は金メダルを連続で取り、兄もウエートリフティングをやっていました。   兄が2人いて10歳以上離れていたので、可愛がって育てられました。   母は音楽教室をやっていて、ピアノを一時期習っていました。  中学校3年生から高校生の頃に、ピアノは辞めたいが何かをやらないとできないという思いがあり、オリンピックを見て感動して私にも出来るかなと思ってスタートしました。  

父は半信半疑でした。   父から条件が出され、メダルを取ることと、絶対に途中で諦めない、ということでした。   ピアノのようにはあっさりやめ止められないと感じ取りました。    バーベルを持ち上げることはダイナミックではありますが、繊細で難しいと思いました。    母はピアノ教室をたたんで身体作りの食事担当になってもらいました。   ピアノはトランクルームにいまだに21年間保管されたままになっています。 

高校進学後、2002年8月に全国高校女子選手権53kg級で大会記録で優勝、2003年には全日本選手権53kg級で初優勝。  伸びない時期もありますが、でも伸びた時の喜びが嬉しいのでその繰り返しです。  2009年前半に怪我をしたり、練習ができない、停滞期でもあり、ストレスを感じてその場から逃げたいと思って、京都のお寺に行って癒されたいと思いました。   解放された時間が欲しくて、家を飛び出して結局沖縄に行きました。   いい時間を過ごす事が出来ました。   2004年のアテネは出るだけで精一杯でした。   2008年北京オリンピックではメダルを取りたいと思いましたが、怪我があったりして結果を出すことが出来なくてその大会が一番悔しかったです。  その後がプチ家出でした。

2012年ロンドンオリンピックでは銀メダルを取る事が出来ました。  いろんな気持ちが入り交じった表彰台でした。  記録は狙えると思っていたが、その後の4年間は治らない怪我が多くなったりとか、経験したことがないことが増えてきて、モチベーションが上がらなかった。  父のサポートもあり、ぎりぎりオリンピックへの対応が出来ました。   81kg2回失敗してスナッチでは8位で、ジャークで1回目105kg でこの時点で4位、2回目107kgで失敗、3回目で成功して3位となり銅メダルを獲得する。   もうオリンピックは最後かもしれないという思いと、悔いのないように上げてくれてありがとうと言う思いで、自分で思ったことをあそこで表現しました。  心のなかで「ありがとう」と言う気持ちを伝えました。  

東京オリンピックへは出場したいという思いがあり、怪我もしていたが、リオよりも記録が下がるとは思ってもみませんでした。  体力には限界が必ず来るんだなと思いました。 後進の指導に当たって、言葉を上手く伝える力を養いながら、選手に届けたいというのが課題です。  元気でいることが選手にとっても一緒にいると元気をもらえるなというような理想像があるので、体調管理をしっかりやって行きたいと思います。