2022年5月12日木曜日

浅野ゆう子(女優)           ・私にも訪れたセカンドライフ

浅野ゆう子(女優)           ・私にも訪れたセカンドライフ 

来年芸能界にデビューして50年になります。   神戸なので、母から小さいころから「貴方は宝塚に入るのよ」と言われていたので、宝塚に行くことを普通に思っていました。   宝塚に行く前にスカウトされて東京に出て来て歌手としてデビューしました。   小学校6年生で身長が160cmあり見た目が大人っぽかったので年相応にみられることはあまりありませんでした。    13歳でデビューして、今思うと、まだ子供じゃないかと思って赤面です。 小学校6年生の時に或るお菓子のメーカーのCMモデル募集があり母が応募して、準ミスに選ばれました。   

東京に来てホームシックはなかったです。  デビューしたら、当時有名だった天地真理さんのようにすぐ成れると思っていました。   母は心配なのか毎週末に東京に来ていました。歌と同時進行でお芝居もさせていただきました。   私には芝居の方が向いているんじゃないかなと思うようになったのは20代中盤ぐらいでした。   トレンディードラマに声を掛けていただいたのが私の転機だったと思います。   撮影と同時進行で放映がありましたので、リアクションが直接返ってくるというのはトレンディードラマでいただきました。   撮影時間はふんだんに使われていて、朝から朝までとか、しょっちゅうでした。  NHKの朝ドラなど、朝までになるから朝ドラだという風に言われていました。  睡眠時間は3時間とかみんな普通に過ごしていました。   でも楽しいから文句を言う人はいませんでした。    トレンディードラマの時代はキャストも、スタッフ、プロデューサーなど皆さんが学生気分でサークル活動のような気分で過ごしていて、学生時代よりも28~30歳ぐらいの時の方が学生気分でみんなと過ごしていたような気がして、プライベートも充実していました。  

4年前に結婚しました。  今後残った人生をどう楽しく生きてゆくか、自分のことにも相手のことにも責任を持った立場で一緒に過ごしていかなくてはいけない。  日本には籍と言うものがあるので、同じ姓になるのが一番良いことではないかという事が決め手だったかもしれません。  友人のホームパーティーで知り合いになりました。   私にとっても青天の霹靂的なものは有りました。   お互いが仕事が一番で生きてきたのでやはり仕事は一番になります。  お互いあまり主張は押し付けません。  料理はあまり向いていないことはわかりましたが、夫が夕食の後にデザートを、と言うタイプで、自分で作ってみようかと思って、ケーキ作りがちょっとした趣味になりました。   そのためもあって体重が増えてしまいました。  

コロナ禍で自由に出られないこともあり、セカンドハウスを持つことになりました。   気分転換にはなりますが、コンビニとかないようなところなので、スーパーで食材を買い込んで私が作る事になります。   

新橋演舞場で公演がありますが、熱海五郎一座「任侠サーカス ~キズナたちの挽歌」と言う作品ですが、長年三宅裕司さんが座長として、豪華なメンバーがいて楽しい一座ですが、そこにゲスト出演させていただくことになりました。  9年振りの2度目の出演となります。楽しい笑いの舞台は身近にあって、素敵だなと思っていたので、熱海五郎一座の作品と出会って、接点がないので11年前ですが、たまたま三宅裕司さんと一緒の番組があり、楽屋にいって、熱海五郎一座に出させてもらいたいとお願いしました。   組の抗争があって一方の女組長をやらせてもらいます。  セリフもどんどん変わって行ったりします。  

水木しげるさんが生誕100年という事で水木先生の「ゲゲゲの鬼太郎」に出演させていただきます。  アットホームは「ゲゲゲの鬼太郎」になると思います。  

自分なりの夢、憧れをもって50年近く仕事をしてきましたが、新しいものにチャレンジさせていただければなという気持ちがあります。  何年か前に谷崎潤一郎先生の「細雪」を演じさせてもらいましたが、高齢になっても演じられる作品だと思いますので、正統派の純文学も又演じさせてもらいたいと思います。  時間をかけて一つの芝居を作るというのは向いている様な気がするので、これからも舞台に立たせていただく機会は持ち続けて行ければいいなあと思います。