佐藤美代子(バイオリニスト) ・【わたし終いの極意】 バイオリンは生きた証
79歳、東京芸術大学在学中の19歳でフランスに留学、パリ国立高等音楽院を首席で卒業後、パリを拠点にソリストとして演奏活動をはじめ、1967年に帰国しました。 順調な音楽活動の一方、私生活では離婚、詐欺被害、最愛の母との別れなど辛い出来事なども経験しました。 今は演奏家人生初のCD制作に情熱を燃やしています。
1943年旧満州で生まれる。 2歳の時に軍医をしていた父が沖縄で戦死、静岡に母親の実家である家に身を寄せる。 9歳よりヴァイオリンを始める。 以来70年ヴァイオリンはいつも佐藤さんの傍らにあります。
母の勧めで船橋孝昌先生のもとでヴァイオリンを始める。 優しくて教え方が素晴らしい先生でした。 次に紹介された先生は東京藝術大学助教授・岩崎洋三先生でした。 技術的に難しくて泣きながら帰った覚えがあります。 東京芸術大学に入りました。 岩崎先生の恩師がフランスのガブリエル・ブイヨン教授で、芸大に教えにきました。 私をパリへ留学させる話が出たそうです。 岩崎先生からも勧められてフランス政府給費留学生試験を受けて合格し、1962年に留学しました。 慌ててフランス語を勉強しましたが、片言でした。 一番安い女子寮に入りましたが、食事がまずくて閉口しました。 夕食後には女子寮の人たちがフランス語を教えてくれました。 必死に勉強して1964年に首席で卒業することが出来ました。 数年して母が来て一緒に過ごして、母が帰国したら凄く寂しくなってしまって、自分も日本に帰りたくなってしまいました。(23歳) 1967年に帰国していくつかの大学で教鞭を取りながらソリストとして演奏活動を始めました。 結婚して、2人の子の母になりました。
30代で離婚して、その後詐欺にあってしまいました。 父の土地など遺産がありましたが、演奏活動で海外演奏でいない間に詐欺にあってしまいました。 留守番をしてくれる人の鍵などを預けて出かけている間に全部売り払われてしまっていて、借金まで背負わされてしまいました。 音楽だけをやってきていたので人を疑うというようなことは考えてもいませんでした。 信じていた人に裏切られて精神的にも参りました。 母の介護もありました。 女手で一つで育ててもらって働き者の素晴らしい親でした。 何をしても返せないようによくしてもらったという思いが実感です。 94歳で亡くなり天命は全うしたと思うんですが、ショックでした。 しばらくの間おちこんでしまって、ヴァイオリンを多少は手にしましたが、身が入りませんでした。
音楽療法をしている方と出会って、「CDを作っていないの?」と言われて、それまでは一生懸命演奏するだけだったので、CDは一つもありませんでした。 CDを制作することになり「孤高」「情熱」「望郷」と言うタイトルを3枚に付けました。 人生の集大成だと思います。 自分が生きた証として作りました。 CD制作時に、日程を間違えたりして、病院に行ったら認知症予備軍だと言われました。 年を重ねた分だけいろんな経験をするので若い時には思わなかった感情とかあって、同じ音符を見ても感じ方が変わるわけです。 体力も落ちたことを含めていまの自分が感じてるのがこういう音楽だと、そこだと思います。 終活についてはあまり考えたことはないです。 感じることを精一杯音に乗せて表すという作業をどういう風にしたら一番うまくいくか、と言う風に音と共に生きているんでしょうね。 最後までちょっとでも深く感じられたて、ちょっとでもいい音が出て良くなりたいと思っています。 ストレスを持つかどうかは思い方一つだと思います。 あるがままの自分を受け入れて、生かされている、生きていることが嬉しい、有難いという気持ちで最後まで行けると、又ちょっとでもよくなったことを喜ぶことだと思います。 いい仲間に出会えたことにも感謝しています。