2022年5月17日火曜日

新南田ゆり(声楽家)          ・オペラで描く人道の物語

 新南田ゆり(声楽家)          ・オペラで描く人道の物語

戦前戦中の外交官杉原千畝がリトアニアの在カナウス領事館の領事代理だった1940年の夏、ナチスの迫害を逃れ領事館に救いを求めてやってきたユダヤ人たちにビザを発給し続け6000人の命を救った史実は国内外で知られています。   杉原千畝物語オペラ「人道の桜」制作員会はオペラを通じてこの功績を世に広め語りついて行こうと活動しています。  2015年リトアニアでの初演以来現在まで、公演回数は20数回にのぼります。  声楽家の新南田ゆりさんは脚本と作詞を担当し、杉原の妻の幸子役を担当しています。  

去年12月相模原市での公演が24、25回目となりました。  休憩を含めると2時間近くになります。  杉原千畝役は女屋哲郎さんが担当しています。 作曲が安藤由布樹さん、演出が鳴海優一さんです。   私たちの2幕ではリトアニアの千畝パークに咲いている桜がありますが、その桜が咲く2013年までをオペラの中の2幕に表現しています。  杉原千畝さんが日本に戻ってきて、それからどういう人生を送られて亡くなられたのか、リトアニアの250本の咲く桜がどういう意味を持ったのかと言うところまで再現させていただいています。  他のほとんどの作品はビザを書いたところまでになっています。   

杉原千畝は1900年1月1日生まれ、戦前戦中外交官を務める。  1940年の夏、ナチスの迫害を逃れ領事館に救いを求めてやってきたユダヤ難民がやってきた。  ユダヤ人たちにビザを発給し続け6000人の命を救った。  外務省の訓令に反する行為だった。  外務省を首になって仕事を転々とするが、生活はとても苦しかったようです。  ロシア語が堪能だったので、通訳の仕事をしたり、店を開いたりいろいろ苦労した。  ビザを書いたことも話をしなかったようです。  救われたユダヤ人の人たちが生き残って、子孫は23万人といわれるが 、杉原千畝を捜してほしいという事で探し始めます。  ニシュリと言う人が探し当てて、杉原千畝さんに対してイスラエル政府から日本人として初めてヤド・ヴァシェム賞を受賞をされています。(1985年)   日本では忘れられていたが、1990年に幸子夫人の手記『六千人の命のビザ』が出て一気に事実が明らかになる。  杉原千畝研究会の代表の渡辺勝正さん(このオペラの監修もしている方)が真実を葬ってしまってはいけないという事で、杉原幸子さんに真実を全部書き出してほしいと提案したそうです。  それが『六千人の命のビザ』となって出版されました。  

外務省が正式に認めたのが杉原千畝さんが亡くなってから14年経ってからです。(2000年10月10日)    オペラはこの『六千人の命のビザ』がべースになっています。 

新南田ゆりさんは桐朋学園大学短期大学部に独学で入学、ピアノ科卒業その後声楽に転向し、同大学声楽研究科修了。  オペラ歌手としてのデビューは声楽研究科修了してすぐにブリテンの「真夏の夜の夢」のハーミア役が最初です。  コマーシャル、アニメソング、映画音楽なども歌っています。  体調を崩して一旦休止して、2002年に復帰した。   ワーグナーの楽劇「ジークフリート森の小鳥役をやらせてもらいました。  

私、幸子役は着物で歌うので最初は慣れないで大変でした。  

2001年10月初めに杉原千畝の母校の早稲田大学が功績をたたえてリトアニアに250本の桜の木を寄贈。  手入れなどにも行って枯れたら植え替えたりして2013年に桜が満開になって咲きました。 今回のオペラの作曲を担当した安藤由布樹さんが杉原幸子さんの歌集「白夜」から何点か作品にしてリトアニアの国立劇場で2009年に行ったが私が呼ばれて歌わせてもらいました。  打ち上げでリトアニアのプロデューサーさんから桜が満開に成ったら杉原千畝さんをオペラとして上演できないだろうかと言う話がありました。  安藤由布樹さんから脚本をできないだろうかと言われました。  3年かけていろいろ調べたりして書き上げました。  杉原千畝さんの史実をそのままに表現したいと思いました。  オペラとしての芸術性も出さなければいけないので11回書き直しをして完成させました。  小学生でもわかるようなオペラにしなければいけないと思って工夫しました。  

早稲田大学のOBの方たちが制作員会を立ち上げてくださいました。(第二回目から)  いろいろなところから公演の依頼が来ました。  2015年リトアニアの首都ビリニュスの国立ドラマ劇場での初演の前に2014年にプレ公演を行いました。   リトアニアでのピアノは古くてガタガタで日本からピアノを贈りました。   リトアニア語で字幕を出してもらって日本語で歌ったので理解してもらえるのか心配でしたが、終わった後で物凄い地鳴りのような拍手で、全員総立ちで逆に感動をいただきました。   2015年7月に早稲田大学大隈記念講堂で日本初演。 2回とも満席で物凄い拍手とスタンディングオベーションをいただきました。  合唱団は毎回現地で募集して稽古をして舞台に上がります。     

合唱団の方も難民として役割をこなし、史実にのっとった形で、判り易くて、今までにないオペラだと思います。  7月に名古屋公演があります。