2022年5月11日水曜日

ブレイディみかこ(ライター・コラムニスト)・イギリスの下町で学んだこと

ブレイディみかこ(ライター・コラムニスト)・イギリスの下町で学んだこと 

昭和40年(1965年)福岡県出身。   1996年からイギリスに在住、現在イギリスの南部にあるブライトンに住んでいます。  1997年「子どもたちの階級闘争ーブロークン・ブリテンの無料託児所から」と言う本でで第16回新潮ドキュメント賞受賞、2019年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で第2回本屋大賞 ノンフィクション本大賞、第73回毎日出版文化賞特別賞受賞しました。   イギリスから多様性や貧困問題について発信しています。 

ブライトンはイギリスの南東部にあり海辺の町で内陸に行くと山もある人口30万人の都会になります。   昔からリゾート地として夏になるとおりてくるところです。    ここ数十年、イギリスのゲイキャピタルと言われているぐらい同性愛者が多いです。  LGBTQの方々が経営しているおしゃれな店とかカフェとか並んだ通りなどがあり開かれた場所です。  ここに住んで20年以上になります。   

10代のころ福岡はロックが盛んでした。  ロンドン、ニューヨークから直にレコードなどが入ってきていました。  お金を貯めてロンドンに行くしかないと思って行っちゃいました。  2021年他者の靴を履く──アナーキック・エンパシーのすすめ』と言う本を出版。    この本を書いていて面白かったのは、一つの軸を見つけて調べだして、芋ずる式に読んでいると関連したことがどんどん出てきて、面白かったです。  エンパシーとシンパシーについてですが、シンパシーは共感、感情から誰かに共鳴したり、同情したり感情から誰かに入ってゆくことだけど、エンパシーは想像力、誰かの状況とか、経験、今感じていることを想像してみる事であって、想像しても同意するわけでもなく、共鳴しないこともあるわけです。  でもその人の立場、置かれている状況、気持ちを想像してみる力がエンパシーなんだという事です。  エンパシーと言う言葉はオバマ大統領がよく使ったんです。  日本ではエンパシーを共感と訳して、シンパシーも共感と訳していて、ごちゃごちゃになっていると感じていました。   だから私は「エンパシー」とカタカナにして、日本語に訳すと「他者の靴を履く」(他者に対する想像力)が言葉としていいなあと思いました。 「エンパシー」の正しい日本語の理解を広めないといけないかなと思いました。 

他者への想像力があればもっと世の中が柔らかくなるというか、SNSの感情(プラス、マイナスの感情)の増幅の恐ろしさを和らげるのではないかと思います。  民主主義は多数決ではないと思うんですよ。  本当はとことん話し合って、どこまでだったら譲れるかと言うような妥協点を見つけて、みんなで共生してゆくというのが民主主義だと思うので、どっちが「いいね」が多いとか争っているのは民主主義じゃないですよね。  感情の対立は怖いなと感じています。   SNSでグレーゾーンがなくなってきたように感じます。  「いいね」ボタンを押すのは瞬時ですが、「エンパシー」は思考がワンクッション入るので時間がかかる。  

アナーキー、アナーキズムと言うと無政府主義とか革命とか結びつけれているけれども、本来アナーキズムは上からトップダウンで強制されなくても、私たちは互いに共同で助け合って自主自立的に生きてゆく力が備わっているんですよ、と言うのがあるんです。   だからトップダウンで強制されると共同で助け合って自主自立的に生きてゆく力が失ってゆく、と言うのがアナーキストの主張なので、トップダウンの力は小さくしていった方がいいというのがアナーキズムの考え方の根本にあるんですが。   私が私として生きるためには、他者も他者として生きなければ駄目なんです。  他者の靴を履くことで自分の靴をなくしてはいけないし、他者の靴を履くことで自分の靴のことが見えてくるという事があると思います。  私のなかではアナーキーとエンパシーは繋がっていることで、逆の概念ではありません。   

トランプ氏には熱狂的な支持者がいて、大統領選に負けても負けていなかったとか、信じている人がいますが、あれこそが強烈な他人の靴をうっかり履いてしまって、自分の靴を失くしてしまった人達が熱狂的になってしまうという現象が起きてしまう。   トランプ氏は他人のエンパシーを集めるのが上手だった。  メディア、政治家たちもすべて自分の敵で、自分が一人で戦っているんだとと言うようなことを作り出して、うっかりエンパシーを使ってしまったら、自分の靴に戻れなくなってしまった人たちが結構いたのではないかと、書いている人がいます。  

DVで、エンパシーを働かせて、彼にもこういうことをする理由がある、彼も苦しい、こういうことを彼にさせてしまうのは、私もよくないんだと、結局そういう女性は逃げない。 これもトランプ氏の例と同様にエンパシーの闇討ちだと思います。  自分で自分の靴があることを思いださないと、強い自己に引きずられてしまう。  エンパシー搾取され、犠牲になってしまう。  エンパシーを使う時には自分は自分の靴を履いているんだという自己をしっかり持つことが大切です。  悪い方に転がることがあるという事を心しておくべきです。

何が正義かという事をそんなに簡単に下せるものではない。   出来るだけ間違えないように時間をかけて判断していきましょう、という事だと思います。   自分の片寄った判断だけで「これは正義、これは不正義」と決めるのではなくて、人の話をよく聞いて、良く語り合って、その中から穏当な落としどころを見つけて進んでゆくのがこれからの道筋だと思います。   穏当さがなくなると段々民主主義が死んでいってしまうと思います。

多様性とかは本当に街に転がっていて偶然い出会うものだと思います。    たまたま知り合った人とこの国の人はこういう考え方をするのかとか、そこでいろいろ学んでゆくことが多様性ですね。   経験を重ねて穏当になって行くと思います。   5,6年前にはこんな激動の時代を生きるなんて思ってもみなかったですよ。(コロナ、ウクライナ問題)  今こそ自分達の頭で考えて、自分達で選んで、解決して決めて行けるようになっていないと、本当に一人一人のアナーキズムの大事な時代だと思います。 

イギリスに来て感じたのは、貧困を放置しているのは政治的な問題、特に子供の貧困は自分で働けないのでなおさら問題だと思います。   貧困は人権問題だと思います。    階級、貧困、経済という軸に戻って、今後書いていきたいという思いはあります。