尾原昭夫(民俗音楽研究家) ・宮沢賢治の"音楽風景"
1932年島根県生まれ、島根大学教育学部特設音楽科を卒業(作曲・理論専攻)後上京、東京都内の小学校で教える傍ら、わらべ歌や子守歌、民謡の採集、研究にあたってきました。 「日本のわらべ歌 日本の子守歌50曲集」など多数の著書があります。 去年に「宮沢賢治の"音楽風景" 音楽心象の土壌」と姉妹編の「賢治童話の歌を歌う」の2冊を出版しました。 賢治の童話や劇の作品の中にわらべ歌や民謡がどのように生かされているかを紐解いています。
今度誕生日が来ると90歳になります。 ガンとか病気もしましたので、音楽関係の学会は30数年やりましたが、退会しました。 日本ららばい協会(旧日本子守唄協会)の機関誌には「風流子供歳時記」というのを4年以上連載しています。 ほかにもまだ繋がりがあります。
去年に「宮沢賢治の"音楽風景" 音楽心象の土壌」と姉妹編の「賢治童話の歌を歌う」の2冊を出版しました。 終戦の翌年やっと授業が受けられるようになって、国語の先生があまり教科書にこだわらないで、情熱的に話す人でした。 「雨ニモマケズ」を黒板に書きました。 それに大変感動しました。 「謙虚」と言う言葉も大きく書きました。 人間順風満帆の時ぐらい怖いことはないと言って、「謙虚」でなければ駄目だよと教えてもらい胸に響きました。 埼玉県の「賢治の会」に入っています。 落合美知子さんが主宰されています。 わらべ歌の講演を頼まれて、ご縁が出来て「賢治の会」に年に3回ぐらいは参加させてもらっています。 賢治さんは歌詞だけではなくて自分も作曲しています。 歌詞だけのものは私が賢治さんの気持ちになって、歌ってみようと思って節つけの例として入れたのが「賢治童話の歌を歌う」という2冊目の本です。
賢治さんは小学校4年生までは唱歌は習っていなくて、5年生でようやく習うわけです。 世の中では西洋音楽が入って来る。 軍歌、寮歌なども歌われて歌があふれて来る。 知らず知らずに吸収して、義太夫をやるおばさんがいたり、レコードも家に有り、邦楽にも耳がいっていた。 藤原 嘉藤治さんは農学校の隣りの女学校の先生で、チェロもうまくて、賢治さんは尋ねていきました。 自分では採譜が出来ないので藤原 嘉藤治さんに採譜をしてもらって、そのおかげで旋律が残ったということです。
「双子の星」 チュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さま
「お日さまの、
お通りみちを はき
ひかりをちらせ あまの白雲。
お日さまの、
お通りみちの 石かけを
深くうずめよ、あまの青雲。」 (節をつけて歌う)
一番星を見つけた時の歌 (江戸時代から歌われていた) 「一つ星見つけた 長者になーれ」 賢治さんはわらべ歌も童話に取り入れました。
チュンセ童子とポウセ童子の二人はお宮にのぼり、向き合ってきちんと
「あかいめだまの さそり
ひろげた
あおいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたい
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。」
農林学校の頃最初に作った童話でこの歌も含まれていて一番の傑作だと思います。
「イーハトーボ農学校の春」と言う童話の中に「太陽マジックのうた」というのが入っています。 14か所に「太陽マジックのうた」の五線譜を張り付けています。 珍しい手法をとっています。
「コロナは七十六万二百
コロナは六十三万二百コロナは三十七万十九
コロナは六十七万四千
コロナは八十三万五百
コロナは六十三万十五
かへれ、こまどり、アカシヤづくり。
赤の上着に野やまを越えて」