田中秀幸(声優・ナレーター) ・【時代を創った声】
71歳、「サザエさん」のマスオさん役の声、アニメ「ドカベン」の山田太郎、多くの俳優の吹き替え、ナレーターとしても活躍。
コロナ禍で収録の仕方も変わってしまいました。 以前は20人以上集まって、3つのマイクに代わる代わる使っていたりましたが、3人で1本の専用マイクでパーテーションを置いてという形になってしまいました。 みんなとの会話が本当に減ってしまって、飲みに行くことも一切なくなってしまって寂しいです。
5歳の頃、ニッポン放送の児童向け連続ラジオドラマ『アッちゃん』のアッちゃん役に出演。 岡部冬彦さんんが原作。 父がオーディションに応募しました。 父は映画監督になりたかったそうです。 父がオーディション会場に行って見たかったので応募した様です。 当時私はは無口で引っ込み思案な子でした。 行くのは厭だなあと思っていた記憶はあります。 400人ぐらいいましたが、たまたま受かってしまいました。
放送は月~土までの10分間のラジオドラマでした。 ラジオ局開局2年目の番組でした。 当時はラジオが楽しみな時代で聞いている人は多かったです。 6年間続きました。 共演したアッちゃんのお父さん役の真木恭介さんに自分の劇団に入るよう誘われまして、籍を置きました。 中学、高校に通いながら演技の仕事を続けました。 基礎訓練しないままで来ていたので、桐朋学園芸術短期大学に行っていろいろんなものを勉強しました。 劇団青年座にいれていただき、全国公演、学校公演などに参加しました。 テレビは外国映画が多く放送された時代で私も吹き替えをやっていました。 アニメは1976年の「ドカベン」ですが、よく覚えていません。 声優の道に進もうという作品になりました。 先輩たちの役作りを見ていて、こんなに面白い仕事なんだと思いました。
舞台の勉強をしてくると、お芝居の基本、せりふは間とリズムじゃないですか。 間とリズムの難しさと言うのは感じました。 トータルの時間が合えばいいわけなので、セリフの間のパクパクが空いてもおかしくはないんですね。 リズムの変え方、ニュアンスのつけ方とか、出来るようになってきます。 吹き替えもアニメもそうです。 1977年から放送のアメリカのテレビドラマ『白バイ野郎ジョン&パンチ』のジョン役を担当。 スタートが深夜放送の番組だったので、作るのに自由度が高かったんで、ほのぼのとした警察物の話でしたが、特にパンチ役の古川さんはテンションの高いものを作っていました。 古川さんと一緒にオリジナルのエンディング曲も歌わせてもらいました。 人気が出てそのうちにゴールデンタイムの放送になりました。
吹き替えの方がアニメよりも自由度は少ないですね。 芝居の呼吸がどうしても合わせにくい役者さんとかはいますね。 アニメなどの場合、想像力については、声優がやろうが、役者さんがやろうが、歌手の方がやろうが、想像力は皆さん持っているんで、そんなに変わらないですね。 声優の世界とドラマの世界とかと、境目がどんどんなくなってきています。
2019年にフグ田マスオ役を増岡弘さんから受け継ぎましたが、オーディションを受けないかと言われた時には声質も違うし、芝居の質も違うから無理でしょうと言ったんですが、とりあえず行ってみました。 新しいマスオさんのキャラクターを演じてくださいと言われました。 そこで演じたらすんなり決まってしまいました。 大変な仕事を引き受けてしまい、皆さんに定着するまで2年はかかると思いました。 もう2年が経ってしまいました。
ここまでの声優人生の中で、大きな苦労は幸いなことにしていなくて、良い人たちが周りにいてくれた、巡り合えたというのが大きいです。 節目節目でいい方たちとの出会いがあったんで、僕はここまでやってこられたと思っています。
若い声優へのアドバイスとしては、自分にしかできない役作り、自分にしかできない表現の仕方、そういったところを最初の段階から目指した方がいいと思います。 何々っぽくしゃべれるのは今は山のようにいますから、自分にしかできない、そういったものを見つけるという事を早い段階からやった方がいいと思います。 そのためには見たり聞いたり感受性を豊かにして、自分の中にいっぱい引き出しをもって置くことが必要だと思います。 常に悩み続けることは必要だと思います。 そうするとポッとヒントみたいなものが出てくる時があります。 悩まないとそういったヒントみたいなものにも気づかない。