綾戸智恵(ジャズシンガー) ・【わたし終いの極意】 きのうがあって、きょうがある
大阪府出身の64歳。 1998年40歳でプロデビューして以来、そのパワフルな歌声と笑い溢れるおおらかなトークで多くの人を魅了しています。 私生活では長年介護をしてきた母のゆずるさんを去年一月に看取りました。
6年前から東京を離れて山梨の方で生活しています。 庭に雉が現れたり、夜に鹿の声がしたり、星がきれいで感動します。 コロナ禍でほぼ丸二年コンサートとかなかったです。 母の介護をしていましたが、そのうち手首足首を痛めて、介護施設に行ってもらいました。 2年前の12月に帰りたいということ言う事でこちらの田舎に呼びました。 段々食欲がなくなり、ほぼ一年後に亡くなりました。(94歳) 棺のなかではなく、ベッドに1週間以上遺体がいました。 母は人生の中で嫌なこともいいことも全部受け入れてきたので、余らなかったと思います。 私のことを目で追いながら、そろそろお別れがあるんだなと思っていたから、私を追いかけたと思うんです。 1秒でも私を見ていたいというように。
母はリアリストで「明日なんて誰が判る」なんてよく言うんです。 「未来は神様でも判らない、もし明日、明後日が判ったら私はあんたを守り切る。 でも判らんのや。 ただ判っているのは昨日あれ食べた、昨日あそこへ行った、5年前こんなことをした、10年前こんなことをした、これだけは判る。 それを使い切って今日生きたらなんかの形で明日が来るんではないか。」そいう風に言われたんです。 「未来ばっかり見ているときついで」と言われて、「おまけで見なさい。」と言われました。 今64歳ですが、これがいいも悪いも明日につながるんです。
介護のコツと言っても難しいんですが、母は母で私の子ではないんです。 だから最後まで親らしく頼ります。 「お母ちゃんが決めてくれないと困る。」とか、母が母ではないという事を忘れたことはないです。 私よりずーっと多く経験してきているので旅立つまで聞きます。
数年前、電車で席を譲ってもらって嬉しくて感動しました。 今度も絶対に席を譲ってもらえるような人間に成りたいと思いました。 ただのよれよれと言うわけではなく、尊敬しているから譲ってくれたんだと思います。 皺、シミは自然現象でしょうがないです。 段々高音部が出なくなり、出ないところの苦しさが憂いみたいに見える。
終活しなくても段々終わりは来ます。 最後は判りません。 コロナでコンサートに行かなくなり、家で3度3度食事を作るようになりました。 料理研究をするようになり、或る料理研究家がアイドルになっています。 テレビ見るだけでも新しい経験です。 今はレシピ本を書いたりしています。 来たものは全部受け入れようと思っています。 それが終活かもしれません。 人生消化不良を起こさない、これはなんか合わないとかあまり思わない。 生きていることはお試しかもしれない。 生きている方が私の人生の、今度現世に行ってこいと言われて、現世のお試しをしているのかも。 40歳でデビューした時も「歌いませんか。」と言われました。 昨日のお陰だと思っています。 死ぬときも昨日の結果で逝くので、終活と言うものがあるとしたら、昨日までが終活ですね。 今日は棒に振ったなあと棒に振らないとわからない。 今日は朝から何もしていない、何も結果なかったなあと言う言葉で、何か明日しようという事になると思います。 お客さんがいる限り歌います、いなくなったらやめます。