頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】 レオナルド・ダ・ヴィンチ
ダ・ヴィンチは「モナリザ」、「最後の晩餐」などの作品で有名なイタリアルネッサンス時代を代表する芸術家です。
「本当のことを言えば、僕は成功しなかったんだ。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
1974年に「モナリザ」展が開かれて時には150万人以上の人が観に来て、企画展の単館の入場者数の世界記録だそうです。 手記を5000枚以上残していて1/3~1/2ぐらいは失わてしまっている。 愚痴とか悪口とかが書かれているという事で僕は(頭木)が興味を持ちました。 詠むと感動することがいっぱいあります。
「私が学者でないから或る威張り屋は私のことを文字を知らぬ人間だと断ずれば、それだけで私をもっともらしく非難出来るとお考えであることを私は十分承知している。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年4月15日 夜10時半ごろ生まれている。(祖父が書き残している。) 「ダ・ヴィンチ」とはヴィンチ村出身であることを意味している。 地元の裕福な家庭に長男として生まれる。 父親は公証人に就いていた。 母のカテリーナはおそらく農夫の娘とされる。(カテリーナとは結婚はしていなくてレオナルドは非嫡出子)父親は別のお金持ちの女性と結婚する。 法律上の婚姻関係のない子という事で差別があり父親の公証人の跡を継ぐことが出来なかった。 当時の階級なら当然習うべきラテン語を習わなかった。 左利きで小さいころから鏡文字を書くようになっていた。 13歳の頃にフィレンツェの芸術工房に行く。(いろんなものを作る工房)
「幸運が来たらためらわず前髪を掴め、後ろは禿ているからね。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
20歳になった時に工房の親方になる。 26歳、29歳の時に大きな仕事が来るが完成させない。 ダ・ヴィンチは生涯にわたって未完成作品が多い。 実は「モナリザ」も未完成、完成のないような作品だったのかもしれない。 30歳の時に礼拝堂の大きな仕事があったが仲間は出かけるが、ダ・ヴィンチは選ばれなかった。 焦ったようでミラノの君主に自分を売り込む。 いろんな新しい武器も作れるという事で軍事の専門家として売り込む。 採用されるが、当時の技術では実現できない武器だった。
「美し事が必ず良い事とは思わない。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
芸術家が美を否定するのは珍しい。 受胎告知の絵で、大天使の翼は普通当時は金色とか水色とかで描くが、ダ・ヴィンチは実際の羽根みたいなものを描いた。 美しさよりもリアルさをとった。 流行の美意識よりも自然の美しさを取ったというほうが正確かもしれない。 風景を主役に描いたのもダ・ヴィンチが最初です。 解剖図に関してもそうとう細かく研究をしている。 美と科学を結び付けたことが大きいと思います。
「便所は待つな、ためらうな。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
食事中はトイレに行かないのがマナーだと言いますが、こんなの困ります。 生理現象にまで制限してしまうのはどうかなと思います。 江戸時代の川柳に「嫁の屁は五臓六腑を駆け巡り」と言うのがあります。 我慢しているから五臓六腑を駆け巡ってしまう。 昔話にも屁ひり女房と言うのが全国にあります。
「なぜ自然は或る動物がほかの動物の死によって、生きてはならないと定めなかったのか。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
ほかの動物を殺して食べる、ということを言っている。 言ってはいるが、自動回転式肉焼き機など発明のデッサンをいくつか描いている。 生き物は殺したくないという人ではあった。
「植物が自分のそばにある干からびた古い杭と、その周りを囲んでいる野茨のことをこぼしている。 ところが杭はその植物をまっすぐに立たしていたのだし、野茨はその植物をいろいろな有害な仲間から保護しているのであった。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
自分のそばにある邪魔なもの、無い方がいいものも、実はそれがあるとそれに助けられている面があると言っている。 周囲にいる気に食わない人をどんどん排除すると、それで快適になるかと言うと、最終的には独裁者の孤独みたいになるわけです。 気に入らない人から何かしら影響を受けて、それで自分の運命が反って好転しているという事があるわけです。 ダ・ヴィンチは俺の力だけで偉くなったんだ、とは思っていないわけです。
「あたかもよく過ごした一日が安らかな眠りを与えるように、良く用いられた一生は安らかな死を与える。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ
僕(頭木)がレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉のなかで最も好きな、あるいは最も嫌いと言ってもいいかもしれませんが、刺さる言葉です。 夜寝る時に「今日は充実していなかったなあ」と物足りなくなることが凄く多い。 ダ・ヴィンチは 一日が充実している夜はよく眠れるように、人生が充実して入れば死ぬときも安らかな気持ちでいられる、と言っています。 一日が充実していなくて物足りなくて寝づらいように、そういう日々が続くと人生が充実していなくて、死ぬときも安らかな気持ちでいられないという事です。 一日のうち物足りなくて寝づらいと一生の終わりもそのように思ってしまうのかなあと思うと、怖くなります。 何が物足りないのかもよく判らない。 正体の判らないものに物足りなさを感じて、そうすると解決のしようがない、そういう怖さもあります。