2022年4月12日火曜日

山本學(俳優)              ・【出会いの宝箱】

 山本學(俳優)              ・【出会いの宝箱】

昭和12年生まれ。  高校卒業後俳優座養成所に入り、21歳でテレビデビューしました。  以来、テレビ、映画、舞台と幅広い演技で活躍しています。  今日はデビューの頃の話を中心に伺います。

85歳になります。   2年前に胃を2/3切ったんですが、それまでは歳を考えたことはなかったです。    映画はよく見ていましたが、芝居を観たのは高校2年生の頃でした。  「ウインザーの陽気な女房たち」というシェークスピアの芝居を見て突然目覚めました。   東野英次郎さんが近所にいたので、舞台装置をやりたいと言ったら、俺は役者だからわからないと言われ、とりあえず演劇の勉強をしろよと言われ、俳優座養成所を受けたらはいっちゃったんです。   1955年俳優座養成所第7期生となる(同期は水野久美大山のぶ代富士真奈美井川比佐志露口茂田中邦衛など)。  授業は面白かったが実技は駄目で自分の番に来ると休んでいました。  3年後卒業公演があり、行き先がなくて8期生として何とかいれてもらいました。   民放テレビから出演の話があったが、無理だと思って、自分で断りに行きました。    外国ロケがあると言う事を聞いて引き受けてしまいました。  テレビドラマ「少年航路」という船員の役でした。   海外ロケはなくて横浜の海で子供が溺れるのを船から飛び込んで助けるシーンでした。  その後露口茂が口をきいてくれて、新人会に入りました。   サンドイッチマンとか裏方のアルバイトもしていました。  

大学のお金も使ってしまって中退することになりました。   渡辺美佐子さん、佐藤慶さん、小沢昭一さんとかいろいろいました。   石井ふく子さんから「かみさんと私」というシリーズがあるから、それに出ないかと言う話がありました。   それに出てから、単発ですが20本ぐらい話が来て、段々芝居の道にずるずると入って行きました。  沢村貞子さんとか、望月優子さんとかから演技指導されて、劇団と言うよりもテレビの現場で育ちました。   或る演出家から「お前、テレビやってても少しは芝居が出来るようになったんだな。」と言われてカチンと来ました。  役者をやってやろうじゃないかと思いました。 

千田是也さん等は、芝居は教えられないものだと言っていました。  石井ふく子さんも、兎に角まじめにやりなさい、と言った感じでした。  東芝日曜劇場にはいろいろな役をたくさんやらせてもらいました。   「愛と死をみつめて」最初はラジオ日本放送でやって、リハーサルでも泣けちゃって困ったなと思いました。    橋田壽賀子さんが脚本を書いて1964年 テレビドラマではミコの役が大空眞弓さんで再放送が何年もありました。(河野実(マコ) - 山本學

本も大ベストセラーになりました。   最後に「健康な日を3日ください。」と言って、「掃除をして、親に尽くして、最後の日は自分のことを考える一日をください。」という、そこに来ると本当に泣けちゃうんです。  人間とはこんなに崇高なのかなあと思って。   ドラマのなかで「禁じられた遊び」を何小節でもいいからギターで弾いてくれと急に言われて、1週間で何小節か弾いたんです、手から血が出ました。  俳優はなり切ってしまうと駄目で、なり切れている部分もあるし、演じている部分もあり、客観性がないと駄目ですね。  

山田五十鈴さん、森光子さん、山本富士子さんなど、当代の大きな女優さんとも舞台を一緒にさせてもらって、それぞれ違うんですね。  尊敬して、でもおじおじしてはいけない、普通にしていることが難しかったですね。   

中原中也の詩 朗読(山本學)

汚れつちまつた悲しみに」 

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

「骨」

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨のさき

それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これが僕の骨―― 
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやって来て、
見ているのかしら?

故郷の小川のへりに、
半ばはれた草に立って、
見ているのは、――僕?  
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。

悲しいです、彼は悲しい事ばっかりですから。  悲しい自分をえぐるように、そして嘲笑するように、と言うところがあります。  コンプレックスが強い人でいながら、自尊心の強い人で、他人が馬鹿に見えるという、太宰などはメタメタにやられたらしい。