2022年4月22日金曜日

日比野克彦(東京藝術大学長)      ・段ボール小僧から学長に

 日比野克彦(東京藝術大学長)      ・段ボール小僧から学長に

1958年生まれ、東京芸術大学大学院修了。 在学中に段ボールを使ったアート作品を発表、段ボール小僧と呼ばれ注目を浴びました。  1995年ヴェネチア・ビエンナーレに出品、現代美術家として舞台美術やパブリックアートなど多岐にわたる分野で活躍しています。  2016年からは東京芸術大学学部長を務め、この4月に東京芸術大学学長に就任しました。  

1995年から1999年まで東京芸術大学美術学部デザイン学科助教授を務める。  1999年に先端技術表現科が美術学部の中に出来まして、立ち上げで移って美術学部の教員をやっていました。   前任の澤 和樹学長は音楽部のヴァイオリン専攻の先生でした。  私自身よりも、世の中が変わって行こうよ、みたいな空気感があるなと言うのは感じました。   先端技術表現科という東京芸術大学の中では新しい専攻の領域からの学長選抜と言うのが、ちょっとこれまでとは違う空気感になるんだろうなというリアクション、期待値があるなと感じていますし、自身もそういう期待に応えて進めていきたいと思っています。   

入学式ではTシャツと帽子をかぶって段ボールを舞台に上げてパフォーマンスをやってしまいました。  入学式では学長メッセージがあり、前学長の澤さんはヴァイオリンを演奏されて、その前の宮田先生の時にはライブで象形文字を描くとか、それぞれが自分の考え方を言葉プラス自分の表現メディアで学生たち新入生たちに発信してゆくことが、芸大の入学式の特徴でもあります。   奏楽があり今年の担当が打楽器でした。  打楽器の先生と打ち合わせをして、その音楽を聴いた時に一緒にやりたいと思ったんです。   段ボールを使って段ボール箱を解体してそれをステージ上でアクションを見せながら、演奏者の背景のセットに、6分ぐらいの楽曲ですが、その間にステージ上が変化してゆくというものを入学式の時にやりました。   先人たちが築いてきたベースはある、手法はある、それによって専攻と言う基礎的なことはあるけれども、それを踏まえたうえで自分たちでやりたい事、自分のやりたいことをみつけるというのが、世の中の、社会の前に進める事になるんだみたいなことを、視覚的に聴覚的に五感に訴えるという事をまずしていきたいという思いがあったので、楽曲を聞いた時にピタッと来たので、今回の入学式をやるモチベーションがどんどん高まって行きました。

1999年に先端技術表現科が出来まして、表現するのに何で作るかという事がありますが、彫刻なら石、鉄、木とかいろいろありますが、コンピューターが出てくる、身体表現が出てくるとか、ほかにも新しいものが出てくる、そういったものを乗り越えて勉強できるところも必要じゃないかという事で、日本語ですと先端技術表現科ですが、外国語ですとインターメディアアートという呼び方をしています。(メディアを繋いで越えてゆくような)   素材に限らず横断的に自分の表現を考えるという専攻を作ろうという事で先端技術表現科が出来ました。   いろいろな分野の先生たちがいます。

アートが一番面白いところは、人と違っていていいという事です。   人と違う事を認め合う事が出来るというところがアートの一番の魅力で、多様性のある社会を実現していきましょうというのが、今、社会で言われているが、どうやってそれを築けばいいのか、行政も大事ですが、もっと一人一人の人間が多様性を認めるという意識を持つという事が何よりも一番大事だと思います。   一人一人の人間が多様性を認めあえるアートの特性をもっともっと広げてゆく、そういうものが体験できる、体感できる場を増やしてゆくのが、今僕のやりたい事です。  

自分らしさは自分が一番わからない。  一人でリンゴの絵を描いていても一人だったら、自分らしいかどうかわからない。  二人に成れば違いが判る、それで人が人を育てる。 芸大に入って周りからそれ日比野らしいと言われて、自分で気づくという場面がいくつもありました。  アートコミュニケーターは、文化的な処方を与える仕事、一人一人に合った処方が出来るという事を今研究していて、絵画を見たり音楽を聴いたりして気分がさわやかになる。  芸術もきちんと数値的に評価されるような研究もしています。   実証されれば、文化的処方もできるようになって行けると、芸術が社会の問題を解決することに役に立つという風になって行くわけです。   

きちんとこれまでのものを次の時代に伝えてゆくものは文化として大事な芸術の役割ですがそれだけではない、芸術は、一人一人の違いを認め合う特性がもう一つの大きな魅力だと思いますが、まだ伝わり切れていない。  私の役割は後者の方と思っています。   いろいろな福祉施設をお邪魔しましたが、自分がこうだろうなと思っっていたことが、それだけじゃないという事に気付かされるシーンが沢山あります。   

僕が見た人の色鉛筆は右から順番に使ってゆくんです。   一番右の色鉛筆が削れなくなったら、次の左の色鉛筆に移って行くんです。  削る時に鉛筆削りに頬を寄せて、音と振動を頭蓋骨、肌で感じてるようで、鉛筆を削りたいから芯を丸くしているのではないかと、絵を描くことが目的じゃないように見えたんです。  その行為を見た時に違う価値観と出会った瞬間でした。   いろんな違う価値観を持った人のところでいろんな人間の文化が生まれてくる。   美術館とか音楽を聴きに行く時に、自分とは違う価値に出会うのが文化施設と呼ぶならば、そういう福祉施設も違う価値観と出会う場と考えると、それは文化施設になるのではないかという考え方で「福祉×芸術」と言うのを、今芸大で授業を始めていて、福祉というものを無いものを補うという考え方ではなくて、違う個性を持っているという視点で考えるというのが芸大でおこなっているDiversity on the Arts ProjectDOOR)』というプログラムですが、始めて5年目になります。   芸大の学生も社会人も学習できるプログラムになっています。   

21世紀になっていろいろ出てきている中で、福祉の問題とかアートの役割と言うものを、もっと社会とくっつけてゆく必要があるなと言うようなことを美術学部の中でやってきて、それを今回は芸大の先生たちからも大学でやって行こうよと言う話になって、学長という立場になり、これまでやってきたことを大学として展開してゆくことなので、より一層発信してゆくことがミッションかなと思っています。   

日本サッカー協会社会貢献委員長という役をやっていまして、サッカーは世界で一番競技人口が多いスポーツです。  FIFAは国連の加盟国よりも多いんです。  サッカーで世界が繋がり、サッカーの影響力、特に青少年に与える影響力があり、一流のアスリートたちは社会的なメッセージ、人種差別をなくすとか、世界の課題に対してメッセージを投げかけることによって影響力がある。  スポーツによって様々な障害を乗り越えられることができる。  日本障害者サッカー連盟があり、ごちゃまぜサッカーをやる。  松葉杖の人、自閉症の人、目に障害のある人などが一つのチーム(5人)になって、サッカーをやるんです。  ウオーキングサッカーで僕も参加しました。(走ってはいけないサッカー)   大会の標語が「サッカーならどんな障害も越えられる」という、そういう事が実現できた一日でした。   アートもスポーツも言葉を越えて、国を越えて人と人が接することが出来る素晴らしいメディアだと思います。  

芸術の役割をもっともっと広げていきたい。  それぞれの世代ではないと見つからない視点があるので、それぞれの世代と一緒になっていろいろなものを考えて実践していきたいなと思います。