ささめやゆき(画家・絵本作家) ・【人生のみちしるべ】ボンジュール!新しい自分
昭和18年 東京都大田区生まれ、78歳。 時にユーモラスで時にセンチメンタルに、どこか力が抜けていて洗練された美しい色使いの絵や版画は勿論、エッセーにもファンが多くいます。 昭和42年の時に独学で猛然と絵を描き始め、27歳の時にシベリア鉄道を使ってパリへ、3年後に帰国した後絵で暮らしてゆくだけの収入はなく厳しい状況だったという事ですが、決して絵をあきらめませんでした。
「ささめやゆき」はペンネームです。 80%ぐらいの人が女性だと思っています。 鎌倉に住んでいて、自転車で隅から隅までいっています。 朝起きた時に思いついたことは必ずノートに書くようにしています。 仕事は夜中の2時ぐらいまでのんべんだらりとやっています。 これというものが見つからないと描けないので、地獄の苦しみなんです。 現実のことを紙の上に取り入れようとするので苦しむんですが、もともとは紙の上で完結すれば凄く楽なんですよね。 こういうものを描こうと思って描くのではなくて、出来たものを見てこういうものを描きたかったと気が付くんです。 その絵によって自分が教えてもらうような気がします。
1歳8か月で東京大空襲で家を失いに疎開、戦後は神奈川県の逗子で暮らしています。 家は雑貨屋みたいな店をやっていました。 小学校に上がる前から手伝いをしていました。子供の頃は恥ずかしがり屋でした。 絵を描きだしたのは24歳の時ですが、それまでは全然絵に興味はなかったです。 逗子から電車で東京の出版社に通う途中で、川崎の煙突から出る煙が毎日違って見えたのがファンタジックだったんです。 ふっと景色を描いてみようという気になったんです。 スケッチブックなど絵の道具を買って、翌日4枚のスケッチを描いて、油絵にしようと思って30号のキャンバスを買ってきて描いていました。 3か月近くかかって描いたものが駄目で、才能がないと思ってキャンバスに残りの絵の具を塗ってこれで辞めようと思って、ふっと振り返ったら物凄く電流が走ったんです。 描こうと思ったのはこれだと思いました。
絵を学ぼうと思って美術学院に行きましたが、先生からは「きみ 才能無し。」と言われて、その後も通ったが才能はないと思いました。 会社を辞める事になり、37万円の退職金を貰って、そのお金でフランスに行きました。 1年間いてお金が無くなって、ニューヨークへ行く事になりました。 皿洗いからコックになってお金を貯めてフランスに行ってお金が無くなるまで絵を描いてみようと思い、マルス夫妻と知り合いシェルブールに行きました。 後に「マルスさんとマダムマルス」という絵本にしました。(最初の絵本)
*「マルスさんとマダムマルス」 朗読
1年間シェルブールで絵を描き続けて日本に帰って来ました。 銀座で個展を開いた時に、絵を買ってくれたのが、後に妻になります。 「月賦でいいですか」と言われ振込先を教えたらもう会えないと思って毎月取りに行きますと言いました。 その後一緒になりました。 絵は観てもらって初めて完結するものなんです。 買ってもらって家に飾ってもらう事はうれしい事です。
36歳の時には銅版画の制作も始めます。 2019年には『ButとOr』というイノリューム版画集を出版。 版画を使って絵を描いているんです、全て絵を描いているんです。 同じことを50年、60年やっているとマンネリ化してしまうので手先を変えてやっています。
エッセーなども書いていますが、絵も文章も書くのが死ぬ思いなんです。 辛いけれど産みの苦しみです。 新しいものを求めて、毎回同じ苦しみがあります。 一番大切にしているのが線で、思った通りに線を引いても駄目で、僕自身から抜けていないんですね。誰も気が付かない線が欲しいんです。 世の中のレールみたいなものに戻りたくないが戻ってしまうような時もあり、いつも葛藤ですね。 レールを外れることは怖いが、死を覚悟していればなんでもできる。 毎日僕たちは一歩一歩死に向かっている、どうしてもそこからは逃れられない。 だから恐れることはないと思う。