2022年4月5日火曜日

上橋菜穂子(作家)           ・香りをめぐるファンタジーを描いて

 上橋菜穂子(作家)           ・香りをめぐるファンタジーを描いて

長い間植物が気になっていました。  しかし物語になってくれる感じがなかった。  植物は静かで遠い他者と言った感じがしていました。   生まれ落ちたところで動かずに生きてゆく、受け身の生き方をしていて物語になりづらいのかなあと思っていました。  1980年代植物同士がコミュニケーションをとっているかもしれないという説を耳にしたことがありました。  或る植物が傷つけられるとそばにいる植物が反応するというような話だったと思います。  数年前に出会った本で、2000年代になってから植物はコミュニケーションをとっているという事が科学的に明らかになりつつあるという事が判ってきたんです。  植物の香りは複数の成分のブレンドで構成されているんだそうです。  葉っぱを鋏などで傷つけられた場合と、虫に食われている場合は、異なるブレンドの香りが放出されているんだそうです。   害虫のナミハダニに食べれている時とシロイチモジヨトウに食べられている時では違うブレンドの香りが放出されているんだそうです。  ナミハダニに食べれていると天敵はそこにナミハダニがいるという事に気が付くんですね。   獲物がいることを香りによって気が付くわけです。  これには吃驚しました。  

香りをかいだ時にその意味が判る少女のイメージが浮かんだんです。  これは物語になると思って書いたのが「香君」という物語です。   上下巻で900ページ余りの小説です。自分の脳みそが動いてくれるのを待っているような感じなんです。  夢に出てきた物語を書くようなイメージに近いかもしれません。   考えようと思っていない時の方がふっと現れるかもしれないです。   私自身が描いた物語を人がどんな風に感じてくれるのか、まるでわからないです。   

もう一つ面白い本に出会って、食糧問題に関する本です。  一つの食物にとても依存している場合において、或る時に一斉に駄目になってしまった場合、社会に波及する影響はとても大きいんだと思います。   社会というものはシステムが組み上ってゆくとその一つの歯車が壊れるとそれに波及して動いていくものはとても影響が大きいです。   そういう事が頭に浮かんでいました。   植物と虫との関係、それに人間がかかわってきて、人々はどう生きてゆくんだろうかという事を追いかけながら書いていたような感じです。    

バナナがある時にパナマ病という病気で凄く大きな被害を受けたことがありました。  バナナは種がなくて株分けしていって、遺伝子に多様性がない植物であったために一つの病害に物凄く大きな影響を受けてしまった。   均質であると効率がいい、どんなものになって行くか予想も付きやすい、利益も上がるが、一方で巨大なダメージを受ける。   多様であるという事は効率が悪かったり、面倒だったり、様々なことが起きてしまう可能性があるが、多様であると生き残る可能性がある。  どちらにもメリットデメリットがあるとその本を読んで考えていました。   それがこの物語に出てきたんだと思います。

ジャガイモがアイルランドにもたらされて大変人々が栄養を得ることが出来たが、ジャガイモに病気が発生して大変な飢饉が発生する。  移民となって出てゆく人の話とか、そういうことを読んだことがあり、社会の及ぼす影響が凄く大きいなあと思っていました。 

飢えに苦しんでいた人たちが奇跡の稲に出会ったら、どうなってゆくのかという物語をイメージしました。    自分は必要なことは大体わかっていると思って暮らしているが、実際には私たちは、自分が判っていないという事に気付くことがなかなか難しい。   災いと言うものは自分たちが判っていないことに気づいていなかったところからやってきたりする。   そういうことを考えながら物語を書いていました。

問題提起をしようと思って書いているわけではないんです。   生き物が生きて行こうとしている時に必ず何か問題が起きてきます。  起きてきたことに対してどうやって対処して生きてゆくんだろうか、という事が気になって物語を描いていきます。  人々がこの生態系のなかで生きてゆくときに、どういう事が起きてそれにどう対処してゆくんだろうという興味を描いてゆくと、読まれた時に、現代の自分たちの暮らしとのシンクロに感じていただけたら、そういう事なんだなあと思う感じです。  

新型コロナウイルスの遺伝子情報が世界に共有されて、世界中の研究者がものすごい勢いで研究を始めて、研究成果をどんどん発表していって、それをまた共有していって、人類の英知が共有されていって、一つの大きな流れになって、今は治療の方法などが少しづつ明らかになってきている。  多くの人々が一緒に暮らしていることの意味は、感染症においては人が大勢一緒に暮らしていることによって感染症は広まるが、一方で能力を共有して想像して、観察して、それを力に変えて、私たちが少しづつ良い方向に救われてゆく姿をみているような気がしました。   自分が書いたものとシンクロして感動しました。  

人が生きる時に自分は多くの他者と一緒に暮らしている。  お互いに支え合っているのだという、その支え合い方が見えているか見えていないかによって、考え方は大きく変わってゆくんだと思います。    或る人の利益にとっては或る人の不利益になってしまうかもしれないという状況、そこをどう解決してゆくのか、その時に他者と自分との共同体の在り方をどう考えるのかという事が大きな焦点になって来るなあと思いながら書いていました。勉強になった本だと言われるが、私自身が勉強しながら書いたからだと思います。