金子賢治(茨城県陶芸美術館館長) ・【私のアート交遊録】 暮らしの食器もみなアート
茨城県陶芸美術館は去年「伝統もオブジェも食器もみなアート」と宣言する公募展を創設しました。 従来アートの枠外とされてきた日常食器を対象にしてきたものです。 器を客観的に評価しようというこの試みは、近年の器ブームの中大きな反響を呼びました。 伝統もオブジェも食器もみなアートと言う言葉に込めた思いや、アートとはなんなのか伺いました。
茨城県笠間は230年伝統のある産地があり、産地振興と現代の陶芸文化に何か寄与できないかという事で、公募展を行うと笠間を知って貰えるという事と、新し陶芸文化の創設を世界に訴えられるという事です。 コロナとぶつかってしまったので実際ちょっと違ってしまいましたが。 点数は多くなかったが10か国からの応募がありました。 観賞用陶器と普段使っている食器などと一体どこが違うのかという事で、それぞれ個性的に作り出していて、現代のアートそのものではないかという事で、陶芸文化と言うものを全体をピックアップしつつ、選びながらアーカイブしてゆくのが美術館の使命で、50年、100年経った後にこんな時代にこんなものがあったのかというものを、後世の人に見ていただきたいと言うのが、私どもの意図です。 日常的に食器は今までほとんど美術館としては扱ってこなかった。 美術館では購入するのに道筋があり、半年、1年はかかってしまうので購入のタイミングが合わないことがままありますので、公募展という事でそれをアーカイブしてゆくという意図もあります。 美術、芸術は作り手が表現するもので、作家の数だけ表現するものがあるが、作り手の人たちが自分の個性的な形を作るという事が表現の最も根底的なところで、それを全部アートと言っていいと思います。
笠間と益子は隣町で、信楽の陶工は笠間焼きを興し、笠間焼きの陶工は益子焼を興しという事で、笠間に300、益子に300、合わせると600の窯元があります。 日本の文化として時代の証言として残していかなければいけないと強く思いました。 東日本大震災でも陶器市は開催して、35万人ぐらいでしたが、数年で50万人を超えるような大陶器市に成長しました。
縄文土器がつくられたのが1万6000年前です。 戦争があったりする中で現代まで続いているというのが大きな特徴だと思います。 海外で陶芸大国と言うとイギリスです。 産業革命以降手作りを根絶やしにしながら機械化してゆくという事がありました。 バーナード・リーチは日本に来て、戻ってから陶芸の作家として活動してゆきます。 自分たちが工房を作った時には周りには何にもなかったと言います。 日本はずーっと続いてきてヨーロッパの機械文化がぶつかってきた。 機械文化と折り合いをつけて、手作りも厳然と残るという手作り産地が形成された。 焼き物だけで考えても、京焼、備前、有田、萩、薩摩、九谷、笠間、益子などがあり、明治以降は北海道にも窯が築かれる。 漆、染色、石、の工芸、竹、木など日本列島の手作りが沢山ある。 みんな機械文化と折り合いをつけてきたと思う。 柳宗悦の息子のインダストリアルデザイナーの柳宗理さんは「現代の民芸は構造デザインである。」と言っています。 機械でいいものが作れるのであればどんどん使いましょうという考えはあります。 工芸は一段低く見られるという事があり卑下するようなところもあるが、工芸は彫刻や絵画ではできないという自負もある。 自信のなさと自負が共存するような微妙なところが、現代の工芸ではないかと思います。
自分がいいと思うものはどういうものなのか改めて考えると、現在に通ずるものかどうかという事、単に工芸という事ではなくて、映画、文学、音楽など、いろんなものの総合としてものをみているので、現代に通ずる表現、現代の最先端、現代を越えてゆくようなものとか、形の意識を鍛えながらものを見てゆく、つまり現代に通じるか通じないかを判断するのが美術の一番の根底ではないかと思います。
茨城県陶芸美術館は東日本で初めての陶芸専門の県立美術館です。 日本の陶芸の歴史が見られるようにもなっています。 茨城県立笠間陶芸大学の校長も務めています。 美大を作ろうという話がありましたが、バブル崩壊後だし駄目で、結局陶芸の学校に収斂していきました。 最初にやったのが陶芸を教える先生のヘッドハンティングでした。 最初はカリキュラムを作ったり、いろいろやってきて成果が出て来ました。 卒業して8割ぐらいの人が県内で活動しています。 笠間市では陶芸を進めてゆくうえでの資金援助もしています。 海外でも個展を開催するような作家が出てきています。 お薦めの一点という事ですが、島根県に風土記の丘というところに資料館があり、「見返りの鹿」と言う埴輪があり、奈良県、静岡県でも発見されて3点あります。 破片の復元が難しく、振り向くようにしたらうまくいって、よくこのような形に作って焼いたと思います。