2022年4月2日土曜日

桐竹勘十郎(文楽人形遣い・人間国宝)  ・【特集インタビュー】「人間浄瑠璃」にかける

 桐竹勘十郎(文楽人形遣い・人間国宝)  ・【特集インタビュー】「人間浄瑠璃」にかける

大阪ではぐぐまれた舞台芸術、人形浄瑠璃、その人形を人間にしてみたら一体どうなるのか、そんな仰天な試みがこのほど実現しました。   題して「人間浄瑠璃」   人形になるのは森村泰昌さん、古今の芸術作品を自らの身体で再現するアート作品で世界的に評価されている芸術家です。   その森村さんを使うのは文楽人形遣いの桐竹勘十郎さん、人間とは何か、人は自分の意志で動いているのか、試みを通じて思索が深まりました。  その前代未聞のプロジェクトにかけたお二人に聞きました。

森村:「人間浄瑠璃」というプロジェクトがありまして、桐竹勘十郎さんといま悪戦苦闘しているところです。  自分自身が何者かに扮してそれを写真に撮るということをして、マリリンモンローとかゴッホとかになりましたが、文楽の世界とどうかかわらせていただくか、と言う事で考えた時にいきなり勘十郎さんになるというような名人芸は出来ないので、人形だったらもしかしてなれるのかも知れない、それを勘十郎さんに操ってもらうという事でこれまでに見たことのない世界が生まれてきそうな予感がしました。   「人間浄瑠璃」はいかがですかねと、お尋ねしたのが始まりです。

桐竹:なんかけったいなことを考える方やなあと思う反面、面白いと思って興味が湧きました。   人形は公演の度に、手足を付けて衣装を着けて仕上がった頭を付けて、舞台に出られる状態にこしらえてゆくんです。  人形遣いが手を通して初めて動けるんです。   それを人形ではなく人間でという事は操られたいと先生がおっしゃいましたので、難しいけれども非常に面白いと思いました。   

森村:まず「人間浄瑠璃」という言葉から思い浮かびました。  人間は自分の意志でいろんなことをしていると思うんですが、もしかして全くの自由意思で動いているというよりも、もしかしたら何かに操られているかもしれないとか、それは神様、社会、運命に操られているのかわからないけれども、後ろに何かいるのではないかと思った時に、文楽の世界にリアリティーがあったりしました。  ロボットが好きで空想したりしました。   人形になってみたらどんな事になるんだろうと思いました。  人間、人間らしさが逆にわかるのではないだろうかと思いました。  人形と人間のはざまで日々悩んでいます。

桐竹:50年以上人形遣いをやっていますが、人間が操れているのかもしれないという話を聞くと、じゃあなぜ私たちは人形を使っているのかなと、今回改めて考えさせられました。 難しいのは空っぽの状態にどのぐらいできるのか、という事です。  意志があると私の伝えたいことが通らなくなって、客席に伝わらなくなるのかなあと、そこの部分で悩んでいます。  

森村:人形は宙に浮いていますが、人間は宙には浮けない。  重さが感じられる限り、人形にはなれないんです。  重さをどうやって捨てられるのかなあとか、いろいろあります。   舞台に人形と人間人形が並ぶときがあり、どう二つの関係が見えるんだろうか、人間人形としてはどっかおかしい、ずれがあるぞとか、ピタッと来るときとずれがある時があると「人間浄瑠璃」だという風に気になれるのかなあと思ったりします。  頭をどういう方向に向けるのか、指示を貰うのにどうしたらいいかとかいろいろ試してきました。 

桐竹:本来なら左手で頭を持つわけですが、頭の下の棒に当たるところを、ちょっと見えないところに付けてそこから先生に何かの伝達をしてゆくという事を考えていて、2,3回やってなんとか行けそうかなと思います。  一発勝負みたいな形でやると意外と面白いものが出来るのかなあと思います。  3人使いで、私と先生ではない手と足で行います。 

森村:太夫さんの語りと三味線が入って来ますが、重要な要素として文楽の世界にあるわけです。   本格的に聞こえてくると人形としてはイメージが出てくる様な気がするんです。  そこに勘十郎さんからの指示が入って来ると、なにかわかることがあるような気がするんです。 向く動作の時の速度とかが、勘十郎さんからの指示とか音楽にうまく乗せられると、勝手に動いてゆくような、まさに文楽の面白さかなあと思います。  頭のなかで描いている理想像です。

桐竹:太夫さんの語りと三味線の描く世界のなかでしか僕らは動けないので、浄瑠璃で気持ちが変化してゆきます。   音無しでは表情の変化などは出来ません。  僕が指示を出すというよりは音と、人形、操る人、三者が交わったところを見ていただく、そんな舞台にしたいと思います。 

森村:今回書き上げた作品は、散歩している時に見る大阪の入り組んだ路地の世界、そういう感覚を大切にしたいと思っていて、誰もが知らないところへ皆さんと一緒にそこへ行くような物語なんです。  謎の大阪の世界と言うような感じです。  

桐竹:森村さんには空っぽになってきてくださいと言うだけです。  

   次にどうするのかという伝達が一番難しかったです。   改めて文楽の人形というすばらしさを感じました。  

森村:勘十郎さんからはきっちりと決めてそれをしっかりとやってゆくという風に思っていましたら、勘十郎さんからは一切そういうことはないんです。   人間とか人形とか考えずにやっていました。  

桐竹:人形の国の一員となったりとか、どっちが人間でどっちが人形だったのかとか、そういう世界が裏表になっていると思うんです。   ちょっとややこしくなるような瞬間を感じ取ってもらえたら、それは「人間浄瑠璃」じゃないかなあと思います。   

5/13(金)午後9時25分からEテレ「日本の芸能」で放送されます。