2022年4月10日日曜日

若井克子(故若井晋氏の妻)       ・元脳外科医・アルツハイマーと診断される      

 若井克子(故若井晋氏の妻)       ・元脳外科医・アルツハイマーと診断される 

若井晋さんは1947年生まれ。  内科医から脳外科医そして国際地域保健学の専門家として活躍していましたが、59歳で認知症になり定年を前に東大を退職、去年2月74歳で亡くなりました。   最後まで夫をサポートした妻の若井克子さんは香川県出身、1946年生まれの75歳。今年、「東大教授、若年性アルツハイマーになる」と言う本を出版しました。  最後まで病気と闘う夫と共に歩む姿を描かれたノンフィクションです。  

長い事言葉を出せない主人と付き合っていたので、私もなんか言葉が出てこないんですね。  まずいなあと思って合唱のクラブに行ったり、パソコンを始めたり、体操、ピアノを習ったりいろいろやっています。   

一番おかしいと思っていたのは当人で、自分でMRI撮って来たり、自分で診断したりしていました。  アルツハイマーは脳の病気だけれども、脳外科医の範囲ではないんです。   今まで通りの仕事が出来なくなった。   ストレスを脳に抱えて、脳と腸は関係が深くて、脳のストレスは腸のストレスという事で下痢が最初ありました。  漢字が思い出せない、書けないという事もありました。  

若井晋さんは1947年生まれ。  1965年に東大に入学、医学部に入り内科医から脳外科医そして国際地域保健学に転身。  若井克子さんは香川県出身、1946年生まれの75歳。 1964年進学のために東京に出てくる。  日本女子大に入学。

彼は父親が病気で家が貧しかったです。  純朴な人でした。  キリスト教には最初関心がなくて、友人が高橋先生が講演に来るからと誘ってくれました。   キリスト教に出会って卒業するまでは日曜日は集会に出ていました。  そこで夫と出会いました。  徳島の高校で3年間働きました。  その後高橋先生から三重県のキリスト教の学校(私立の農業高校)を紹介されました。  彼とは手紙のやり取りをしていました。   1974年4月に結婚しました。  

厚生年金病院に内科医として勤務しますが、救急車で脳の患者さんが来ますが、脳外科医がいなくて、ほかの病院に行くことで、彼は悔しい思いをして、脳外科医になることを決心した様です。   病院を辞めて養老先生のいる解剖学教室に2年通って脳外科医になりました。   これと思ったら突っ走るタイプでした。   脳外科医が不足していて栃木県の病院で疲れ果ててしまって、アメリカに行くチャンスがあったのでアメリカに2年行っていました。    戻ってきたが居場所がなくて、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)にいって、それが東大の国際地域保健学に結びつきました。    開発途上国に行って見聞きしてきました。  2004年までに30回程度の海外出張がありました。  アフガニスタンで銃殺された中村哲医師とも交流がありました。   2001年 54歳の頃に身体の異変に気が付きました。  漢字が書けないとか、ATMの扱いが出来ない、ネクタイが結べないなどいろいろありましたが、決定的だったのはニカラグアからアメリカの空港で日本行きに乗り換えるが、日本行きの飛行機が判らなく日本行きの飛行機に乗り換えることが出来なかった。    教えてくれる人がいてその時には何とか帰ってくることが出来ました。  それがショックで大学を辞めることになりました。   大学院生を抱えていたので、1年半後に卒業するという事ですぐには辞められませんでした。   

病院でアルツハイマーですと診断されました。  私は受け入れるしかしょうがないと思いました。    やることがなくなってしまって、沖縄に引っ越してきました。    最初は色々見聞きしましたがやはり段々飽きてきて、栃木に戻りましたが、もう一度沖縄に行くことにしました。  オーストラリアの方でクリスティーニと言う女性の認知症の講演があると言う事で二人で聞きに行きました。   夫はそれまでは本当に落ち込んで気が抜けていました。  クリスティーニに会った時には自分の生き方を見つけました。  認知症の人達の前で認知症ですと告白することによって、その人たちのためになにか出来ることがあるのではないかと思ったそうです。   クリスティーニみたいに生きてみたいという希望が与えられたと思います。  その後2009年から2013年まで二人で講演活動をいろいろ行いました。   主人も生き甲斐を感じたと思います。   

司会者の質問の仕方がいいといろいろしゃべれましたが、ぼんやりした内容の質問だと話が組み立てられないので駄目ですね。    トイレに行くのに、感じないという事も出てきて3013年以降は講演は中止しました。   デーサービスに行っても対応の悪い人もいたりしていろいろ問題がありました。   2021年に亡くなりましたが、その5,6年前から言葉が出なくなり身体も動かなくなり寝たきりになってしまいました。    入院して、或る時突然電話が掛かってきて、慌てて迎えに行って帰って来ました。    子供たちも集まって、次第次第に意識が遠のいてゆく、そんな感じでした。   

私はクリスチャンなので、病とか死ぬことは神様が下さるものだと思っていました。   私が看るものだと思っていたし、神様が私にくださった仕事だと思っていました。   病気になると病気になる人の気持ちが判りますよね、彼は自分がアルツハイマーになってやさしさ、謙虚さ、人を攻撃したりしないし、そういったものが深まったんじゃないかなあと思います。