岩波律子(岩波ホール支配人) ・【私の人生手帖(てちょう)】
1968年に多目的ホールとしてスタートした岩波ホールは7月29日をもって、54年の歴史に幕を下ろします。 1974年からは世界の名作映画を上映するエキプ・ド・シネマ(商業ベースにはなりづらいと考えられている名作を上映することを目的としている。)映画の仲間運動の拠点としてにほんでは上映される事の少ないアジア、アフリカ、中南米などの映画を積極的に上映し続けました。 その活動は高い評価を受けてきました。 1990年から岩波ホールの支配人を務めてきた岩波律子さん、祖父が岩波書店の創業者、岩波ホールは父が岩波書店の社長の時に自費で創設、叔母の高野悦子が総支配人として多彩な活動を展開してきました。 岩波律子さんの人生と共に岩波ホールが果たしてきた役割などについても伺います。
1968年からスタートしてエキプ・ド・シネマを始めるまでは多目的ホールだったので、いろんなことをやっていました。 民族芸能などたくさんやっていました。 津軽三味線、越後瞽女(ごぜ)(目の見えない女性が列をなしていろんな家を回って演奏していた方々)などたくさん見る事が出来ました。 音楽会でも普通の劇場ではできないドビュッシーの歌曲全曲演奏会とか、何週間も掛けていくつもやっています。 叔母の高野の発想は凄かったと思います。
映画の題名は観客の足の運びにも大きく影響するのでその会議などに参加しています。 原題が「山師と犬」という映画の題名(原作小説の題名)ですが、もめにもめて「山の郵便配達」に決めました。 54年間のチラシなども残してあります。 お客さんとの接触があるのがうちの特徴かもしれません。 聞くと女性は「よかった。」とか言いますが、男性はほとんど言いません。 辞める事になっていろいろ手紙などが来ました。 入口に立っていると声を掛けてくださいます。
コロナで休館の要請が出たり、一人おきに座ってもらうとか、皆さんの出足が凄く落ちました。 若い方が余り来なくて、若い方をどうするかがポイントでしたが難しく、収支が合わなくなって厳しい状態になり、続けられなくなりました。 映画も娯楽映画ではないので観ると気が重くなったりしますが、考えさせられる映画です。
小さいころ母が「クマのプーさん」(作者:石井桃子)を持ってきてくれて、それから本が好きになりました。 言葉に凄く興味を持ちました。 原作のリズム感を上手く再現していると思いました。 子供の頃は言葉人間でした、算数は駄目でした。 今でも本はたくさん読みます。 父は旧制中学でロシア文学が好きで「戦争と平和」など読んでいました。 映画もいろいろ評価してくれて、「さっぱりわからん」と言うと、ヒットしていたりしました。 父は捻ったものとか芸術的なものは駄目で、判り易い社会派が好きでした。 スタートした時には私は16歳でしたが、父は良いことをしたいと張り切っていたと思います。 オープニングの時の写真が出てきて、市川房江さん、遠藤周作さん、山本安英さんとかいて、こんな人たちにも助けていただいたんだなと思いました。
大学で仏文科に入って、その後パリに留学してパリ商工会議所が設置した高等秘書養成センターに行きましたが、文学少女でのほほんとしていたので、実務が判った方がいいという事でした。 その後、フランス国立東洋言語文化学院日本部門でフランス語で日本の文化の勉強をしました。高等秘書養成センター(CPSS、現・パリ・ノバンンシア経営大学院)を卒業し フランス国立東洋言語文化学院日本部門修士課程を修了を修了しました。 時間的に余裕が出てきて映画、音楽を見聞きしに行く様になり興味を持ち始めました。 1978年に帰国して、センベーヌ・ウスマンさんからアフリカの生活の話を聞いて嬉しかったです。 彼は女性については凄く尊敬しています。 母親は強いという主義なんです、女性の戦う力が凄いというのが彼の信条ですね。 彼は小説家になりたくて2,3つ書いたんですが、母親は読めないが涙を流して喜んだそうです。 文字は駄目だと思って映画を作ろうと、母親のために映画を作り始めました。 『チェド』『母たちの村』などがあります。 『チェド』はアフリカにイスラム教が入ってきた時に改宗するのを拒否した人たちの話です。 『母たちの村』 ここからは立ち入るなという事で女子割礼の儀式があり、それを辞めたいという思いで、子供に割礼をさせないためにそれを守ったお母さんの話です。 テーマを一つずつ出してゆくとセンベーヌ・ウスマンさんと言う人は凄い人だったと思います。
映画は皆さんの中に足跡を残して、考えるきっかけにはなっていると思います。 ウクライナのことに関しても、情報過多でどこまでが本当なのか判らないが、どっかから本当のものを手探りしていかなければいけないんだろうなと思います。 自分で手段を捜していかなければいけないんじゃないかと思います。 外国に関する情報はいっぱいあるけど実際にはよく知らない。 いい映画があるから見ていただきたい。 私たちが知っているつもりでいるのが残念ながら欧米でしかない。 いい映画は心の栄養になるとか、逆に考えさせてくれる映画かもしれません。 様々な国と文化があるという事が判る、エキプ・ド・シネマが始まった時に大国だけではなくてあまり知られていない国の映画とか、いろいろあるが結局スタッフが感動した映画ですね。 最初は感性ですね。 文化には人間には根底に同じものが流れているというのと、全く違う考えがあるという事、文化ってそういう2種類があると言っていた。
本当に困った時に高野さんだったらどうするだろうね、と言う事は言われました。 父の夢見たいろいろなものを発信してゆくという事が、ある程度できたのかなあと思いますが、残念がっているかもしれないし、そうかそうかと思っているかもしれません。