竹中功(コミュニケーション講座講師) ・会話のヒントはお笑いの世界に
昭和34年大阪市生まれ、同志社大学を卒業後、吉本興業に入社し、広報宣伝企画新人タレント育成の為の学院の開校など、さまざま仕事に取り組んできました。
現在はお笑いの世界で培った経験を活かし、笑いの大切さや不安を取り除くコミュニケーションの方法を教えています。
又お笑い芸人と慰問をしたことが縁で、定期的に刑務所を訪れ、受刑者を対象にした社会復帰の為のコミュニケーション教育にも力を入れています。
35年間勤めた会社を辞めました。
自分の時間をマネージメントをしたかった。
小学校の頃、ラジオを聞いていて深夜番組などにも手紙を出したりしていました。
笑福亭仁鶴さんが好きでした。
大学卒業して吉本興業に入社しました。
笑いの世界に関わりたいとは思っていました。
漫才ブームが有り東京進出して、その後全国で活躍するようになって、大阪では人が足りなくなりました。
製品(芸人)を製造しなさいと言うことになりました。
(商品(芸人)だから大事にしなさいと言うような捉え方でした。)
入社半年で学校を作ることになりました。
宣伝費も無くて、梅田にあった劇場に学校が出来ますと、看板を観て応募した男が浜田君です。
同級生に「まっつん」(松本)がいて、お笑い芸人になれるのだったらと言うことできたようです。
その二人ダウンタウンが一期生でした。
最初ぼそぼそ話していて大丈夫かと思いました。
段々明るくなって夢を語るようになりました。
お笑いで学校で学ぶという事は屋号が無いので、ノーブランド漫才と名付けました。
「松本」「浜田」という名前での出演は当時は認められなかった。
昭和57年に学院がスタートしましたが、何やっていいか分からずジャズダンスなどをしました。
チャンバラの殺陣、着付け教室、フラメンコ教室などやりましたがフラメンコは評判がよくなくて止めました。
夢、目標を語っている子は素晴らしい、育ってゆくと思います。
語ることで手伝ってくれる人が現れるもんです。
さんまさん、紳助さん、巨人さんも稽古場に来てくれたりしました。
彼らもまだ若かったので自分では弟子を持っていなかったので、アドバイスをしてくれたりしましたので、皆励みになりました。
10代の女の子だけをターゲットに劇場を作ろうと言うことになり、ノーブランドの連中を紳助さんが集めて一緒に仕事をしてくれたりしました。
みんなが一体感を持つような楽屋の雰囲気でした。
どこかではライバルだったが学びあうと云うことは大事だと言うことで楽屋の面白さはありました。
1年目では売れなかったら学校は辞めようと云うような感じだったが、新人がいろいろ出てきてくれました。
人と違うことをやろうと言う人は伸びて行きましたね。
良い所と悪い所見極めてコンビネーションを作って行くのが芸の面白いところなので、恥ずかしがり屋だったらそれを認めるのが芸の面白いところだと思います。
大阪の笑いと東京の笑いは違う。
関西は自分とか家族とかを笑い物にする、自虐、関東は他の物を笑う。
関西系の笑いは自分の失敗、弱点とか、不得意なところさえも武器になる。
吉本に在籍していた頃、東北も担当していて仙台、会津若松などにいたりしたが、秋田刑務所の慰問に行く機会が有り、90分のショーをやることになり、僕の担当が60分でした。
前の若手芸人が10分で降りてきてしまったので、せっかく集まってもらったので、喋っているうちに喧嘩などをする人がいる事に気が付いて、喧嘩などしないで男なら社会に戻ってから後輩などからあこがれる男を目指して下さいといって、それからその刑務所は喧嘩が無くなったんです。
山形の刑務所で釈放前の教育をすることになり、社会復帰の教育をします。
自動改札機の通り方とか生活、物価を学んだりします。
今6万人位刑務所に人が入っていて1名に300万円の税金がかかっています。
再犯が無いようにするのも大切です。
皆に望むことはこれからはしっかりと住む所を決めて、働くところを決めて税金を納めてください、と云うのが僕のきめ台詞です。
自分史を書こうと言っています。
そのためには自分にインタビューしないといけないと言うことでインタビューの仕方を教えます。
パソコンで10歳の自分自身に逢って自分にインタビューする。
1問目、2問目は僕が質問して学校での遊び、夏休みに家族でどこかにいったのか聞いて3問目からは自分で考えてインタビューする。
大人になったら何になりたいと最後に僕から聞いて書いてもらう。
大工になりたいと言った人が一人いたが、その人に拍手、他の人は駄目じゃないかとか10歳の自分に会ってもらう。
次に未来の自分に会いに行く、死ぬ前の自分に聞きに行く。
誰かに謝りたいとか御礼を言いたいとか言って来る。
そして現在について聞く、自分を知ると言うこと。
そうして書いてゆくものを増やしてゆく事で自分史が出来て来る。
100万円あげるからどうしたいかなど又問います。
そうすると眼を輝かして反応する。
刑務所内ではなかなか自分の意見を言う場面がなかったり、どう質問したらいいか判らないらないということもある。
そこからコミュニケーションと云うものを理解してもらう。
不安はだれも持っているので、引き出しに入れておいて、先にしなければいけないことを順番にしましょうと言っています。
自分にインタビューをすることで自分で考えると言うことが新鮮です。
彼らは答える側にはあるが聞く側に回ることはなかなかないので、聞くという行為は大事なので、訓練をして最近名インタビュアーになって来ています。
紙に書くと言うことも大事です。
添削したりして、そうすると段々記憶もくっきりとしてきて内容も具体的になる。
具体的にものを語ろうと言うことになる。
事件が起こったということは上手く言葉が交わせなかったり、結局暴力になったり犯罪になったりするのがあるので、それに気付くためにも自分が自分にインタビューして、インタビュー上手になると相手の気持ちを察することができるようになる。
相手を知るためには自分を知るという第一歩が自分史のインタビューだったんです。
自分は人とも違うし、自分は自分でも大事にする。
入っている人たちは褒めてもらった人があまりいないですね。
前向きな気持ちになってもらうには褒めたり、楽しい話をしたり失敗談をしたりするのが大事だと思います。
初犯の人は50%位再犯を犯すと云われているが、僕がやっている3年間では100名位授業受けているが再犯は一人も犯していません。
友達や家族が応援してくれていると思う、成果が出ているものと思います。
考えるよりも感じろと言いたいです。
家族で皆自分史を書いて見せ合いっこしたらいいと思います。