2018年4月11日水曜日

前田速夫(民俗研究者)          ・“新しき村”、百年の歳月が投げかけるもの

前田速夫(民俗研究者)      ・“新しき村”、百年の歳月が投げかけるもの
今から100年前の1918年大正7年当時の白樺派の作家、武者小路実篤が中心になり、宮崎県児湯郡木城村に「新しき村」が創設されました。
これは実篤が自らの理想を実現しようと提唱した農村共同体です。
開村して20年、農業生産もようやく軌道に乗って、これからという時に県営のダム工事が発表され村の最良の土地が水没する存亡の危機に直面しました。
この為に昭和14年に村をわかち、一部が埼玉県の毛呂山町に移転しました。
以後宮崎の日向の村と埼玉の東の村とが存続して今日に至っています。
新しき村は実際に村に住んで生活している村内会員と、村の外に住んで経済的、精神的支援をする村外会員で成り立っているのが特徴となっています。
前田さんは10年ほど前から村外会員として活動していますが、創設100年を機に『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』 と云う本を著しました。
ユートピアの共同体が100年間も続くことは世界でも例を見ないそうです。
「新しき村」の歴史を振り返り分析すると、今の日本や世界が抱える問題が見えてくると指摘しています。

大手出版の新潮社に就職、1968年(昭和43年)、初めから希望した月刊雑誌の編集部に配属されました。
前年から始まっていた武者小路実篤さんの長編自伝小説の担当を命じられて、毎月実篤邸に通いました。
当時実篤さんは80歳代の半ばでした。
原稿の受け渡しが済むと、奥さんがお茶を入れてくれて、実篤さんとは世間話を色々しました。
私の両親は戦前からの村外会員でした。
両親は実篤夫妻の媒酌で結婚しまして、家中実篤関係の書がごろごろしていました。
小さい時に「新しき村」の創立記念祭があり、毎年父に連れられて弟と一緒に行きました。
実篤作品はよく読んできました。
実篤詩集は愛読書でした。
当時街のお蕎麦屋さん食堂などには実篤の色紙、絵皿などがあふれていました。

1918年宮崎県の奥地日向の村、武者小路実篤と同士の17人が開墾した。
子供を入れると20人だったそうです。
1917年はロシア革命、1918年はシベリア出兵、日本各地では米騒動が起きていました。
国内外が騒然とした時代でした。
武者小路実篤は社会改造の理想を高々と掲げて青年男女が故郷を離れて裸一貫で集まってきた、そういう時代でした。
自他共生、人類共生、を目指す、農業を主にしたユートピア共同体でした。
宗教、イデオロギーとかとは全く無縁でした。
8時間の役務労働があり、各自自分のやりたい事、創作、芸術活動、劇団を作って九州を公演したりなどもしました。
「君は君、我は我なり、されど仲良き」 先生の言葉
普通共同体では、個は全体に奉仕するが、「新しき村」では全体が個に奉仕する、世界に類を見ない美質だと思います。
いまだに「新しき村」が新し理由だと思います。

「新しき村」の場合は100年今でも続いていて、世界的に見ても奇跡に近い様なものだと思います。
当時は批判、嘲笑に近い様な事が多かったようです、主に知識人ですが。
武者小路実篤は貴族の出身なので、世間知らずにできないだろうと言うことだった。
実際は若い人たちが集まって暮らしてゆくといざこざが起きる。
意識の違いが出てきて、村民の入れ替わりが激しかった。
武者小路実篤自身も執筆に専念すると言うことで村外会員になった。(7年間は村にいた)
20年かかって米が自給できるようになったその時に、ダム建設の為に村の1/3が水没してしまった。(一番いい土地)
水没後、一部埼玉県に移るが、ゼロからスタートで自活できるようになったのが創立から40年後、昭和33年ごろ、養鶏をやることでうまくいって自活できるようになった。
武者小路実篤先生が亡くなってからも発展して、65人ぐらいいた時もあります。
美術館、生活文化館が出来て創意と活気に満ちた時がありました。

100年続いてきた理由 3つ
①創立者が武者小路実篤で著名で理念がしっかりしている。
②村内会員、村外会員(経済的、精神的支援、新鮮な風を送り込んだ)2重の組織だったこと。
③村の人が向日性、楽天性。
埼玉県の毛呂山が本部に成っていて宮崎県の日向、東西にあります。
1980年以後、村民の高齢化、亡くなって来る方も出てきて若い方も入らないということになり村の人口が減っていって、衰亡の危機におちいてきている。
毛呂山は9人となり、宮崎では3人になってしまいました。

『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』 と云う本を出版しました。
出版の動機 4つ
①村内会員ではないのでためらっていたが100年続いてきたということについて、若い人などは全く知らないのではないかと思ったのが動機でした。
②戦前の「新しき村」については研究書はでているが、戦後の「新しき村」については皆無と言っていい。
③村の存続が危ぶまれる事態にまでなって来て、日本、世界が抱える問題をはらんでいると思う。
④グローバル化した結果、世界が液状化している、国家、民族、地域、家族の共同体が機能不全に陥っているし、格差が広がり戦争の脅威が増すばかり。
「新しき村」こそ今切実に求められている健全なコミュニティーのありかではないかと考えています。

10年前から村外会員になっています。
村で暮らしている人との問題意識は大きな隔たりがあります。
高齢者が大半で、その日その日を生活してゆくことが精いっぱいで、今後の村のことについて考えることの余裕がない。
原点に返ってと呼びかけをしています。
30代なかばから40代、武者小路実篤先生の初期の代表作はほとんどここで書いています。
「第三の隠者の運命」 国と国とが互いに相手国に脅威を感じて軍備を競う。
今のアメリカ、中国、ロシアの覇権を争う世界情勢そのもの、与党野党が国益の合唱。
私もユートピアの賞味期限は過ぎたと思っていたが、目の前の現実になって来ており、村の理想は決して過去のものではなく、今ますます必要になって来ていると思います。
少子高齢化、地方の衰退、過疎とか問題があるが、「新しき村」みたいなものが各地に生まれていって世界中に広がって行くと言うような夢を持っています。
「日々新しき村の会」を立ち上げて活動し始めました。
収益が見込める新事業は何か。
若い入村者を増やして後継者を育てるにはどうすればいいか。
深化、脱皮して行く必要があると思います。
ホームページから新しい情報を発信して行く。
その他行動案を考えています。