2018年4月12日木曜日

阿利美咲さんの母 早苗さん(世界パラ陸上日本代表)・一緒に走って、自閉症に寄り添う

阿利美咲さんの母 早苗さん(世界パラ陸上日本代表)・一緒に走って、自閉症に寄り添う
子育てをする自信がない、子供を愛せない、自閉症の子どもを育てている親の多くが抱える悩みだと言います。
先天的な脳の機能障害が原因の発達障害である自閉症は、言葉がうまく話せなかったり、特定なものごとに強いこだわりがでたりと、軽いものから重度のものまで症状も様々です。
徳島県吉野川市に住む、阿莉美咲さん(23歳)は重度の自閉症です。
美咲さんが幼い頃は多くの親と同じ様に、子育てや周囲の偏見に悩むことが多かったという母早苗さん、親子の関係を変えたのは一緒に走ることでした。
その後美咲さんは陸上にさらに力を入れる様になり、障害者のスポーツパラ陸上世界選手権に出場するようにまで成長、今は東京パラリンピックを目指しています。
どのように自閉症の娘と寄り添い、世界のトップアスリートまで育ててきたのか伺いました。

ロンドンパラ陸上に初出場。
今日の様な日が来るとは全く思っていませんでした。
皆が1回で出来ることを、10回でも100回でも練習して出来るようになるということを一緒に努力してきたという感じです。
3歳の時に妹が出来たが赤ちゃんゃんには興味を持たず、言葉もでなかったので病院に行って診断されました。
どうしたらいいか教えてくれるところが無いので講演会などにもいって学んでも生活のなかで役に立たず、呼んでも返事がないし、いつになったら返事をしてくれて一緒に色んなことが出来るようになるのかなと思って過ごしていました。
危ないことも判らないので目が離せませんでした。
周りからは障害があると言うことが判らないので怒鳴られたり、白い目で見られることが多かったです。
妹が美咲の事を好きと言っていたので、もっと好きになってもらうようにしたいと思いました。

美咲と二人だったら死んでしまおうと何度も思いました。
主人を亡くして、美咲がいろいろ問題行動を起こして、育てるめどが立たない、このまま生きていてもしんどいことが多いだろうなあと思って、生きていても傷つくことが多いと思いました。
愛媛県の療育センターの先生のところに紹介されて行きましたが、先生の子供が自閉症で独学で研究されて自分がやってこられたことを、悩んでいるお母さんに伝えたいと言う思いで、日本全国色んなところに講演に行かれて、たまたま鹿児島で会ってこれでやってみようと思いました。
走ってくださいと言われて、泣いているようだと散歩に行こうと言うような感じで始めて、小学校ぐらいからジョギングしてファミリーマラソンなどに参加して段々速くなりました。
小学校3年生の時には速くて一緒に走れなくなり自転車で付き添って走るようになりました。
走ることが生活の一部になりました。

小学校5年の時に、陸上部が出来て先生が長距離のチームを作ってくださいました。
全国大会に行くことができてオープン参加をさせてもらいました。
陸上は個人競技なので出来ないことは家で練習をして、一緒に付き添ってやっていました。
美咲が走ることで希望が出来て目標とかが沢山出来て、美咲が陸上をしていなかったら施設と家族しか知らないまま育っていたと思う。
美咲が頑張って手に入れたものなので、もっともっと輝かしてあげたいと思って、寄り添ってきました。
障害があるから駄目と思ってあきらめないでほしい。
絶対乗り越えると親が思わないと子供はそこを引いてしまうので。
中学、高校陸上部で、美咲が実績を残していった。
基本的な生活を整える、料理、掃除など私生活をきちんとできるようになって、次の道がひらけていくというのが、私は家族にとっていいことだと思います。
色々出来るようになると学校でも喜んでもらいました。

タイム設定、目標と結果、そういうところは意識して出来た所はほめてやり、行動もしっかりするとか挨拶をしっかりするとか、そういうことも一緒に教えてきました。
美咲の通訳の様な立場なので子供と一緒に聞いていました。
会話が少しでもできるように、挨拶は決まった言葉なので、言い聞かせました。
代表になったのは高校3年生の時です。
全国障害者スポーツ大会に出てそのタイムが強化選手レベルのタイムだったので、知的障害者の強化選手になりましたが、それから合宿とか遠征に行きました。
国際大会にも行くようになりました。
朝走って、軽作業をした後に、夕方また練習します。

これからどうなるのか不安もあるが、今を精いっぱいして一日一日が繋がって、何年間になっていくものと思います。
将来的には少しずつ自立していくことになるかと思いますが、今は目的が違うので結果を出すためにはきちんと管理して結果を出していきたいと思います。
特別扱いをしないと言うのと、皆に愛されると言うこと、大人になった時に穏やかに生活する、そのために毎日の生活を徐々に整えて行くと言うことだと思います。
白い目で見られる様な空気を感じることがあるので、障害があるとわかっても助けてあげようという社会になったらいいと思いますが、見て見ぬ振りが一番寂しいと思います。
障害者も特別扱いではなくて出来ることを増やしていって、両方が過ごしやすくなったらいいなあと思いますが。
教育者も障害に対する理解とか知識とか、持っていってほしい思います。
まず自分が子供を愛して、出来るようになるということを信じる、やらなかったら変わってはいけないので、子供の成長の為に丁寧にやり方を考えて、子供と一緒の目線で育てていったら周りもその努力も判ってくれるようになると思う。
色んな協力者が得られて、練習仲間もいて、指導者の方とも出会えて今の美咲があると思うので、一緒に前を向いていくことだと思います。
やらなかったら変わらない、やったら少しづつでも変わって行けるし、それが希望になって行くと思います。
東京オリンピックには東京、愛知、埼玉はどんどん若い選手が出てきていますが諦めずに狙って行きます。