2018年4月26日木曜日

杉本昌隆(将棋棋士)           ・“藤井聡太”の師匠として

杉本昌隆(将棋棋士)           ・“藤井聡太”の師匠として
史上最年少の14歳2ヶ月でプロ棋士になった藤井聡太6段、その活躍は空前の将棋ブームを巻き起こしています。
名古屋を拠点に活動する杉本さんは現在49歳。
本格的に将棋を差したい少年少女が集まる日本将棋連盟東海研修会の幹事や、杉本昌隆将棋研究所を主宰し後進の育成にも力を注いでいます。
杉本さんは藤井6段が小学1年生の時に初めて出会い、4年生の時から弟子として指導を始めました。
藤井6段との師弟対決が先月実現、結果は藤井6段が勝利を納め将棋界で公式戦で弟子が師匠に勝つ恩返しを受けました。

弟子と公式戦で戦うことは嬉しいです。
負けてしまった自分としては悔しいですが。
私はあれだけメディアが集まって指すことは初めてでした。
中学2年生の9月に昇段を決めてプロ棋士になり自分でも感動しました。
昨年6月に29連勝という新記録を達成しました。(デビュー以来の連勝)
普通デビューしたての新人は将棋が未完成ですから、大きな連勝は普通できる訳が無いですが、藤井の場合は違ったのですね。
これにはびっくりしました。
普通プロの場合は勝率は5割なんですが、デビュー以来の29連勝は今後でないと思います。
彼は今では400年に一人の人と言われています。

初めての出会いは小学校の1年生の終わりごろでした。
日本将棋連盟東海研修会に入会してきました。
何気なく見た将棋がいい内容で、いっていることが大人びていたのが印象でした。
中学生と対戦した時に、ここに歩を打っておかないと勝ちがないと言っていたのが印象的でした。(先の局面を見る能力がある)
小学校の4年生の時に弟子入りしてきました。
当時40人ぐらいいましたが、周りとは別格でした。
負けた時は悔しがり方が尋常ではなかった、将棋盤を抱えて号泣するんです、それが5分位続くんです。(しかし切り替えは早かった)
負けを真正面から全身で受け取っています。

私は小学校2年生の時に父に教わって始めました。
駒に役割があり、それぞれ能力があり魅力を感じました。
小学校4,5年の時にプロになりたいと思いました。
6年生の時に奨励会に入りました。
板谷進9段が師匠でした。
豪快で細かいことを言わない師匠でした。
「沢山食べてどんどん将棋を指せ」ということをよく言っていました。
将棋の戦法は大きく分けると、居飛車、振り飛車とがありますが、私は振り飛車が好きでした。(師匠は居飛車で、居飛車はオーソドックスです)
門下では振り飛車は当時御法度でした。
入門後勝てない時期があって、自分では振り飛車の方が向いているのではないかと思いました。
スタイルを変えたのですが、師匠からは何も言われませんでした。

相撲の世界などでは教える側と教えてもらう側がはっきりしていますが、将棋の世界では全くなくて、師匠に金銭的なメリットは何にも無いです。
師匠がいくら弟子に教え込んでも弟子が勝ってくれないと全く意味をなさない。
師匠は弟子を勝たせるのが役目なので、礼儀正しい好青年を育てることにはまったく意味がないです。
弟子は若いので師匠の言葉は重たいです。
押しつけになってしまってもよくなくて、自分で考えた末に結論を出してほしい。
彼の場合は自ら学んでゆくタイプの弟子でして、こんなに手のかからない弟子はいないと言うほど楽な子でした。
自分の意見を述べますし、沈黙が流れる事もあります、素直な弟子という表現はもしかしたら当てはまらないかもしれませんが、頼もしい弟子です。
自分の信念を持っていると思いました。
彼の持っている才能はやはり今まで類を見ないほど凄いものがありましたので、あくまでも常識的な教えはしない方が彼の才能を蓋をしないのではないかと思って、私は意識的に指す機会は減らしていました。
兄弟子たちと指して後で私がアドバイスをするという立場でやっていました。

技術的な他に人と人との相性というものがあると思うので、私と藤井とは相性は悪くないと思っています。
伸び伸びと勉強しやすい空間を作ることに関しては意識しました。
畠山8段とは小学校5,6年生のころからのライバルであり友達で、将棋の世界独特のものがあるかもしれません。
将棋は二人で戦えば必ずどちらかが勝って、どちらかが負けるので、勝ち負けが日常的にあります。
素晴らしい良い結果が出るか、負けて悔しい思いをするか、まあまあということはないです。
一生懸命やった過程を重視してそれを評価するのが保護者、指導者の方の役割なのかなと思います。
一局が終わるまでは一人なので誰も助けることはできないので、私達の決断は最後は自分で決めなくてはいけない。

若い人は見ているとこちらが勉強になることもあります。
棋士になって30年近くなりますが、お互い学びたいと言うこともあります、お互い強くなりたいと言う思いがあるので。
私が負けたら段が落ちてしまうという局面があって将棋の世界から足を洗うようかもしれないと思っていた時に、師匠がニヤッと笑って「面白い勝負だな、お前がこの先どの位将棋を指すか判らないが、今後このぐらい面白い勝負はないかもしれない、だから一生懸命やるんだな」と言ってくれて、気分が落ち込んで居た時に、この勝負は面白いんだと思うことで、勝つことができました。
師匠の一言が大きかったと思います。
私が19歳の時に師匠は47歳で亡くなられてしまいました。
藤井と一緒に上を目指せていけたらいいと思っています。