2018年4月29日日曜日

前田吟(俳優)              ・【私の“がむしゃら”時代】

昭和19年山口県防府市で未婚の母の子として生まれた前田吟さん、生後間もなく血縁のない家の養子となり養父から厳しく育てられました。
そのため小学生から人と人の間には必ず壁があり、どんなことがあっても一人で生きていかなければならないと思うようになったと言います。
一方で学校ではいつも明るく学芸会での劇を担任の先生から褒められてからは俳優になるという夢を抱きます。
12歳で養父が亡くなってからは山奥にある養父の親戚の家で暮らし、電気、ガス、水道の無い家で家事にも追われる中、学校の成績もぐんぐん伸びて山口の進学校に入学しました。
しかしその高校を 1年で中退し大阪の家具店に就職しばらくは懸命に働きますが、空いた時間で演劇研究所に通いたいという願いが叶わず、今度は新聞販売店で住み込みで働くことになります。
高校卒業の資格を取る為の勉強もできるようになりました。
しかし、・・・というのが前回までの話。

2カ月位しか良い時は持たなかった。
演劇学校の事務員の人がお金を持って逃げてしまって、学校が潰れてしまう。
潰れてしまっても出かけて行くのが10人ぐらいいたが、その内に3,4人位になってしまった。
たまたま公園で台詞の発生とかいろいろやっていたら、新国劇を作った澤田正二郎さんと一緒に新国劇を作った倉橋仙太郎さんが週に一回教えに来て居ていたが、倉橋さんから声を掛けられた。
色々話をしている中で先生の弟子は大河内伝次郎、大友柳太朗、上田 吉二郎とか有名な弟子が一杯いるということでした。
夜幼稚園を借りて稽古をしているので来るかと聞かれましたが、時間の調整が出来なかった。
それなら就職も紹介しようと言うことになりました。
結婚式場に就職することになりました。(休日、大安以外は暇ぎみなので稽古ができた)
ここでは定着しました。
映画も見れたし、通信教育も出来ました。
掃除から精神的なことまで色んなことを学びました。
1962年(18歳の時)に大阪から上京しました。
東京芸術座の研究所に行って、大阪での縁で上田 吉二郎さんから紹介されて、NHKの「事件記者」とかの通行人で一杯でました。
新宿の「ともしび」という喫茶店で舞台に出たりしました。
東京芸術座の養成所に受かりました。
花の5期で栗原小巻、原田芳雄、村井国夫、林隆三、地井武男などがいました。

自分より上の人だと思っていたら、全部学生っぽいし、朗読とかは上手いが味が無いように感じて、生活感のある路線があるなと思って、周りは演劇青年といった感じなので、TVが出てきて芸術祭作品が盛んに作られてドラマも一杯作られるようになってきていまして、同期生の演劇青年がやるような役はなくて、生活に根差した役がありドラマにださせてもらいました。
それがうまく繋がって「寅さん」になって行っているんだと思います。
「ドレイ工場」で主役が受かりました。
大阪弁とか地方弁とか混ざってしまっていたので、標準語を話すことが難しくて本当に苦労しました。
原田芳雄さんには話すことに関しては延々と稽古をして貰い、本当にお世話になりました。
1964年には結婚しましたが、独身ということで売り出すと言うことで、タレントとして雑誌などに家族のことを聞かれるが、独身ということで別々に住むようになりました。
子供もすぐに生まれてしまいました。
結婚しているということが判ると絶対に売れなくなるということで、一緒に住むようになるのは大分後になってからです。

自分の為に働いたことはないです、働いていれば家族が生活できるだろうと生活の為に働き続けました。
仕事を取る為にオーディションでも目立たないといけないので、目立つような言葉しぐさなどを考えました。
「ドレイ工場」を山田洋次監督がたまたま見にきてくれていて、面白いから今度連れてきてと言われて、それが縁で「寅さん」シリ-ズの義理の弟のひろし役をやることになり、本来教師役だったが工員ということになり、裏が印刷工場になるわけです。
撮影は始まっていたが、書き変えをしました。
第一作が爆発的にヒットしましたので、その後を直ぐに続けて作ることになり、26年間48作全てに出ることになりました。
毎回必ず一つ一つ心に残ることだらけです。
今見るとはずかしいが、前半は引いてしまっていますね。(芝居が前に出ていない)
ひろし役から脱皮しないといけないと思って、それが銀河TV小説の「隣の芝生」でした。
内容は嫁姑のバトルで、その頃から脱皮しました。
その後色々役をやって来て、明るい役をやらせてもらっています。
TVは明るくやらないと食えなということが持論です。
「渡る世間は鬼ばかり」は20年以上続きました。

同じ役を長くやっていて余裕に甘んじていたら、必ずしっぺ返しが来ると思っています。
自分なりによくやったなという仕事もしたいと思っています。
俳優の仕事はしたたかにやらなければいけないし、心してやらないといけない、傲慢になってはいけない。
辛くても台詞必ず覚えて行かないといけないから、栄光の日々の時分を見ることは少ないです。
明日からやる仕事が一番大事で或る意味怖いところがあります。
一つ一つを大事にやっていかないといけないと思っています。
台詞を覚えて行く過程で、これが言えるかなあこれが言えたと思う時が楽しいです。
現場に行くと相手とのテンポと合わなかったりして、大変さの連続で、これのずーっとのくり返しです。
20代から70代までずーっとTV、映画で演じてきて、70代の自分は良いなあと思うようになったが、80代の自分を見てみたいという気持ちはあります。