2018年4月8日日曜日

加藤みどり(声優)            ・【時代を創った声】加藤みどり(1)

加藤みどり(声優)      ・【時代を創った声】加藤みどり(1)
アニメのサザエさんを演じ続けて来年50年を迎えます。
声優を目指したきっかけや、苦労などについて伺います。

45周年の時に全国を回った時にフーン驚きだねえと云ってたんですが、それから園遊会にお呼ばれされて、天皇皇后陛下に50年頑張ってみますと言ったんですが、どうしようかと思ったんですが、約束が果たせそうでほっとしています、来年で50年を迎えます。
高校卒業後、松竹歌劇団の養成所に入る。
舞台の女優さんになりたかったので、全部教えてくれると言うので行きました。
NHKが放送劇団のタレントの募集をやっていると言うので、行ったら受かり、NHK俳優養成所に移りました。
終戦の翌年に小学校に入りましたが、1クラスは77人で6クラスあり、2部授業でした。
中学校は学年で400人ぐらいいました。
子供のころは野性の子みたいでした。
先代の水谷八重子さんに憧れていました。
松竹歌劇団の養成所では日本舞踊、バレエ、タップダンス、声楽など、全部やります。
70人ぐらいいてビリから2番目でした。
稽古はすさまじかったです、追いついてゆくのに精いっぱいでした。
その後NHKに行って劇団「三十人会」に入りました。

凄い明るい子だと言うことで、若山源蔵さんとお茶のひと時というラジオ番組に出演する事になりました。
若山さんには本当に色々と教えていただきました。
声と云うものはどういうものかと云うことを教わりました。
その番組の時に目の不自由の方から手紙をいただいて、素晴らしい声、可愛くて明るい声ですねと云う内容だった。
目の不自由の人は聴力には鋭敏で、その人からのものからこういうふうに褒められることは大変なことだから心してやるようにと云われて、若山さんは真剣に教えてくれました。
「一丁目一番地」、芸術祭参加作品等にも色々出させてもらいました。
10cm近くある厚い台本を1カ月前に渡されて全部覚えて来いと言われたりしました。
マイクの使い方などよく覚えておけと言われて見て勉強しました。
NHKでは色々学びました。
「天使の部屋」はNHK俳優養成所の女の子の卒業記念番組としてTVに出してもらいました。

アニメのデビューは東映の動画のプロデユーサーが面白いということで呼んでくれて、「少年忍者 風のフジ丸」「魔法使いサリー」「ハクション大魔王」とかに出ました。
仕事が次々に来て忙しかったです。
演出家の要求には答えていかなくてはいけない。
NHKの芸術参加作品の時に、少女の役があり、嵐の中でのシーンで何度も何度もやったが駄目だった。
滝沢修先生が来いといってくれて、「走ってきたらスーッとしゃがめ」と云ってくれて、一発でOKでした。
その時の出来なかったことに対して惨めだった、一生の惨めな思い出です。
その思いがあるからこそ、どんなことをしても稽古は休んじゃいけない、仕事を甘く見てはいけない、と云う思いがあります。
スタジオに行って出来ないと云うことは恥ずかしいことだと言うのは若山さんの教えです。
出来なければ出来るまでやれ、そのためには勉強しろと云うことです。
声に対しての使い方は長唄、清本など全部お稽古を続けていました、だから忙しかったです。
教える側も妥協しないので、よれよれでしたが、それが大事なことでした。
愛川欽也さん、大平透さんと一緒にやらせていただいて、トップの男性の声の仕事にちゃんとくっついて行きました。
NHKでデビューした時に古今亭志ん朝さんとの番組を一緒にやらせていただいて本当に運が良かったです。
運があるから努力が出来る、努力するからいつの間にか誰かが引っ張ってくれる。
そう思われないかもしれないが、ねちねち努力するタイプです。
声と云うものは作るものだ、だからお稽古ごとに行きなさいと言うことだと思います。
台本を読み込む力は大事で、そのためには本を読んだり、舞台やそのほかのものなどを見て勉強しないといけないところだと思います。
今声を鍛えるために義太夫をやっています。
小唄、清本、長唄をやって今は義太夫です。
『大改造!!劇的ビフォーアフター』では6時間声を出し続けるので大変です。
1969年に「サザエさん」に出会います。