2018年4月7日土曜日

高村薫(作家)              ・愛しき命を見つめて言葉を紡ぐ

高村薫(作家)              ・愛しき命を見つめて言葉を紡ぐ
1953年大阪生まれ、1993年に『マークスの山』で第109回直木賞受賞、その後も重厚な社会派サスペンスで数々のベストセラーを生み出してきた高村さん。
1995年に起きた阪神淡路大震災2011年の東日本大震災をきっかけにその作風が大きく変化しました。
近年のノンフィクションの空海を初め、仏や仏教をテーマにした作品を多く手掛ける高村さんに、二つの震災体験を通してどのように世界観が変わったのか聞きました。

阪神淡路大震災の当日、真っ暗のはずなのにドンと揺れて目が覚めると、外が明るいんです。
家がぎしぎし音をたてて揺れる、言葉がない。
本当に怖いと声が出ない。
自分の持っていた言葉世界が瞬間的に失われて、ほんとうに空っぽになってしまう。
人と云うのは自分が息をしていることもしばらくは気が付かない。
言葉を失ってしまったあとに人間が何をするかと云うと、新たに言葉をかき集めようとするが、うまくピッタリする言葉がない。
言葉をかき集めないと自分の存在が問われているわけで、その中でどういう言葉もしっくりこない中で、自分の中に開いた穴が埋められない。
不安、所在の無さが膨らんでゆく。
亡くなった方たちが体育館とかに並べられてゆく。
自分が生きてきてはじめて沢山の死者の気配を感じました。
気配を感じた時に、なんで自分が生きていたんだと感じました。
沢山の亡くなった方がいてこの差はなんだと思いました。
それを埋める言葉を探して行った時に、これは説明が付かない事、理屈で納得が出来ないことに対する一つのアプローチの仕方として、こういうことを説明しない仏教があるかもしれない。(?)
そこからほんの少しだけ仏教に近づいて行ったと思います。

不条理、偶然の重なりでしか見えない出来事に自分が遭遇したという事態を言い当てる言葉として仏教でいう縁起しかないとその時思いました。
縁起と云う仏教の伝統的な考え方で人間の事、世界の事を眺めるのが一番だと思います。
この世界のあらゆる現象も、存在も単独で成立しているのではなくて、原因が有り結果が有り縁があり、それが網の目のように絡み合って全ての現象や存在はなりたっている、と云うのが縁起の立場で割としっくりくる人は多いと思う。
キリスト教、イスラム教はこの立場に立たないで神の意志が入って来る。
ブッダの仏教は徹底した分析手法で苦悩の原因はどこにあるのか、掘って掘って、そこの根を断てと言うのがブッダの手法で、原因から結果に分析して、結果から原因に遡及するとか、行ったり来たりすることを繰り返すことによって自分の苦悩、根源を断つというやり方。
一般の人間は座禅をしないし、念仏も唱えないし、普段の生活の中で人間の生き死に、世界の成り立ちを縁起と云う言葉で納得するよりほかに方法がない。
そういう考え方があると言うことを知っただけでも大きい事だと思います。

震災とは関係なしに知り合いが病気で亡くなったり、母が亡くなったりしましたが、自分も老いてきて、死の事を考える。
その時に縁起と云う考え方があると、仏教の基本は生きる時は生きる、死ぬ時は死ぬと言う単純明快なところに立つことができる。
そういうふうに思えば、色んな災難に向き合う時に、向き合う事ができるというか、楽なんですね。
幸せ、不幸せ、生きる、死ぬとかを眺める目が本当に変わったと思います。
結論から言えば物凄く楽になりました。

バブル崩壊で不況は長期化、この暗い状況を救う知恵が仏教にあるのではないか、そんな思いで13年の歳月を掛けて書いたのが、『晴子情歌』、『新リア王』『太陽を曳く馬』
の3部作。
とっかかりは、先ず自分がどこから来たのかと云うことです。
今ここにいる、そしてこれからどこへ行くのか。
自分が今まで拠って立ってきた世界は何だろう、親がいてその親がいて、そして近代の日本の歴史に初めて目が行きました。
不況の中で漠という不安があり、阪神大震災が起きて、オウム真理教の事件、金融機関の破たん、自分たちの経験したことのない時代が来るなあと言いながらミレニアムを迎えて21世紀になり、色々なことが重なって一体自分はどこにいるんだろうと言う思いが有りました。
それを自分なりに確認したかった。

情報のやり取りが頻繁になると見なくてもいいものまで見てしまう。
非常に騒がしい状況で何が正しいのか、どうしたらいいのか、何も分からない、そういう中で確信を持って自分で納得してこうだと生きてゆくことができない、それが生きづらさなのかと思います。
今は病気になっても色んな選択肢だけが用意されて、病気になった人が自分で迷わなければいけない。
この薄暗い時代をどういうふうに生きていったらいいんだろうと、私なりに仏教と向き合ってきました。

東日本大震災、築きなおす過程にあった自分の世界が又崩れ去ることを経験しました。
日本の終わりを感じる様な衝撃でした。
私は密教に縁がなくて、共同通信社から空海を書いてみないかとの話が有りました。
空海は結果的に一番民衆に近い存在になった。
困った時の弘法様、信心する人の一番身近な神様が弘法大師だったということは痛切に感じます。
死者の事を思って流す涙は自分の喪失のダメージを和らげる効果が有るから、泣いたり祈ったりするんだと思いますけれど。
祈ると言うことは自分の悲しみを和らげる為の身ぶりだと思います。
東日本大震災をきっかけに書きあげたのが『土の記』
奈良県の山間部、妻を亡くした72歳の男が田畑を耕し余生を送る物語。
津波で押し寄せた海水は土をかっさらって行った、土と云うことでは東北も奈良県の山間部も共通している。
草、土の中には虫も、種も彼らも一緒に流されてしまった。
でも東北と地続きで続いている。
虫、草、鳥、いろいろな一つ一つの命にこの主人公は感応している。

どんなに覚悟、準備していてもいざそういうことが起きてみると又おんなじことをするし、おんなじように言葉を失うし、立ちつくすと思う、それが人間だと思います。
何が起きるかわからない、こういう世の中だから必要以上に構えることはないかなあと思います、構えても無理だと思います。
ゆるく考えたらいいのかなあと思います。
言葉を失ったら掻き集めて、その繰り返しをして、死ぬときまでは生きる、それしかない様な気がします。
死について考える、死の苦しみに接するのは実は生きている人間なので、生き残った人が死を考えるので、死の事を考えるとそのために生きることがある。
縁起と云う考え方があるからと云う訳ではないが、沢山の死を目の当たりにした時に、その隣に生きているものがいると、生きているものに目が行く、例えば草とか。
その生きているものが輝いて見える、自然な感情だと思います。
死ぬと言うことの経験の次に生きているものに眼を移すことで救われる、自分が楽になる。
自分の気持ちが楽になるという事は、自分の為だけではなくて隣の人に楽になった気持ち、態度、言葉で接することができるのかもしれない。
私の場合には楽になった立場でものを書く、そうやって沢山の死があったからこそ、その次に生きているものに目が行く、その連鎖があったし、いまも続いているのかなあと云う気がします。