2018年4月23日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)          ・【絶望名言】川端康成

頭木弘樹(文学紹介者)          ・【絶望名言】川端康成
「言葉が痛切な実感となるのは痛切な体験の中でだ。」 (「虹いくたび」 川端康成
日本人で初めてノーベル文学賞を受賞、今年2018年は川端康成の受賞50周年に当たります。
命日が4月16日、昭和47年に72歳で亡くなっている。
川端康成は生まれたのは明治32年6月14日、ヘミングウェイ、アル・カポネ、田河水泡、が同じ年生まれ。
ガブリエル・ガルシア=マルケスが褒めていた「眠れる美女」を読んで見たら、吃驚するほど凄くて、それから大ファンになりました。

カフカの名言集、「一番上手く出来るのは倒れたままでいることです。」
私自身が難病でベットで倒れたままでしかできないでいる時に、読んでみると実に痛切な言葉です。
(頭木氏は20歳の時に難病潰瘍性大腸炎を発症、13年間に渡る療養生活を送りました。
その経験から悩み苦しんだ時期に心に浸みいった言葉を絶望名言として、番組、書籍で紹介しています。)
先に色んな言葉に触れていることは大事です。
痛切な体験をした時に、それに対応する言葉が無いよりは、思いだしてあーあれだという言葉がある方が、何にも解決する訳ではないが、心の持ちようとしては有るか、無いか大きく違うと思う。
いつか痛切な体験をした時に思いだして、こういうことを言った人がいたなあと思えば、それは随分違うのではないかと思います。

「忘れるに任せると言うことが、結局最も美しく思い出すということなんだな。」
(川端康成の小説「散りぬるを」からの言葉)
「16歳の日記」は川端康成が実際に16歳の時に病気で寝たきりのおじいさんを介護していた時の日記で、この時におじいさんと二人暮らしだったが、このおじいさんが最後の肉親だった。
両親は川端康成が3歳になるまでにどちらも亡くなっている。
おばあさんも7歳の時に亡くなって、4つ上の姉も10歳の時に亡くなっている。
若いうちから随分身内の死を経験している。
「16歳の日記」はたまたま10年後に見つかり、発表される。
これを読んで川端康成は「この祖父の姿は私の記憶の中の祖父の姿より醜かった。
私の記憶は10年間、祖父の姿を清らかに洗い続けていたのだった。」
と言っている。
おじいさんは目が見えなかった。

大事な想い出なのに当事者の二人が全然違って覚えているということが結構あります。
大抵は自分の都合がいいように変えてることが多くて、変えられてしまった方は腹が立つわけです。
でも本当は悪い方に思いこんでしまってる場合もあるし、いずれにしても記憶は不確かなものです。
記憶は自分にとって大事なところが印象に残って、大事なことだから自分なりに変更する。
非常にオリジナリティー溢れる面白いものになる。
人間は過去の積み重ねで出来ているわけで、その過去の記憶がある程度自分が作り替えているとしたら、自分自身ももしかすると自分の一つの創作物かもしれない。
明るい気分の時は記憶の明るい引き出しを引き出しやすくて、暗い気分の時は記憶の暗い引き出しを引き出しやすい、というふうになりやすい。

「なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでも懐かしいのね。 忘れないのね。」(「雪国」の中の一節  芸者駒子が語った言葉)
NHKの「友達」山田太一脚本の中の言葉
「キャバレーなどバーなど色んなところで働いてきたけれど、性の有ったお客さんで最後まで行かなかった人が一番なのよ。  いいもんなのよ。
行くとこまで行っちゃえばそれだけのことだけど、両方でなんだか辛抱しちゃったお客さんっていまだにね、いい思い出。
人間の付き合いの中でも相当上等な付き合いじゃないかと思ってるの。」
川端康成に似ている言葉だと思う。
好きだけど言わない、そこにはそれなりの味があると思う。
人生のほとんど本当は辛抱したり、やらなかったり、言わなかったりすることが大半で生きているんじゃないかと思う。
じーっと我慢し続けて押さえてきた結果、身に付くものも有りますし。

宮城道雄作曲の中の「春の海」 琴 宮城道雄 ヴァイオリン ルネ・シュメ 
川端康成が感動したと言われる曲
宮城道雄は7歳の時に失明。話を聞いて感情がわかるという耳の敏感な人。
川端康成は目の作家と言われる。
観察力があり、目で見たものを書くと言うのが非常に特徴的。

「何の秘密もない親友なんていうのは病的な空想で、秘密が無いのは天国か地獄かの話で、人間の世界のことじゃないよ。
何も秘密の無い所に友情は成り立たないよ。 友情ばかりではなく、あらゆる人間感情は成り立たないね。」 (1954年発表 「湖」の一節)
秘密が無い方がいいということに一方あるが、親しい関係だからこそ秘密が多くなるということもある。
親友の相手がどういう行動をするかは判っていても、親友の内面の気持ちはほとんど判らない、胸の内まではつかみ切れていない。
人間というものは意外で、思いがけない面白さでもある。

「いかに現世を厭離するとも自殺は悟りの姿ではない。
いかに徳行をしても自殺者は大聖の域に遠い。」  (随筆「末期の眼」より)
川端康成は自殺している。
「僕は生きている方に味方するね。 きっと人生だって生きている方に味方する」と言っておいて自殺してしまった。
何故自殺したのか本当の胸の内は判らない。
自分でも思いがけないことをしてしまう、そういう自分というものはあるんじゃないでしょうか。
してしまうかもしれないという、おびえを持っている方が却って、しなくても済む面があるかもしれない。

「晴々と眼をあげて、明るい山々を眺めた。 まぶたの裏がかすかに痛んだ。
二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂欝に耐えきれないで伊豆の旅に出てきているのだった。
だから世間世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、いいようなくありがたいのだった。」 (「伊豆の踊子」からの一節)
下田に着くような帰り道に踊り子たちがいい学生さんだと会話をしているが、それを聞いている自分が思っているということを書いている。
川端康成が自分が孤児だった為に人の顔色ばかり見てたのでは無いだろうか、というような思いを書いている。
子供って、自分だけでは生きられない弱い存在として世の中にいる時に、心細さみたいな、人目を気にしてしまう、よるべなさは幼児体験としてあるのではないでしょうか。
孤児の場合はそれが倍増する訳です。
私が個人的に川端康成に感じる魅力は一貫性の無さです。
自殺は駄目と言いながら自殺してしまう一貫性の無さ。
余り一貫性を重要視しない揺れ動いている、それの方が自然なことかもしれない。
川端康成は自分自身を自分自身にもよく判らないものとして見ているところがあり、そこがとっても魅力的です。
川端康成はゆらゆらしているものとして人間を捕えていたのではないか。