2018年4月15日日曜日

ヨーコ・ゼッターランド(スポーツイコメンテーター)・【スポーツ名場面の裏側で】五輪メダリストの証言

ヨーコ・ゼッターランド(スポーツコメンテーター)・【スポーツ名場面の裏側で】五輪メダリストの証言
元女子バレーボールのアメリカ代表選手ヨーコ・ゼッターランドさん。
父がアメリカ人、母が日本人でサンフランシスコで生まれる。
6歳の時に母親と一緒に日本に移住し、小学校から大学まで東京で暮らしますが、その後バレーボール女子アメリカ代表の入団テストを受けて合格。
バルセロナ、アトランタの2度のオリンピックにアメリカメンバーとして出場し、バルセロナの大会では銅メダルを獲得しました。
その後日本の実業団チームで活躍し現役引退後はスポーツコメンテーターとして活躍しています。

引退してから20年近くになります。
179cmほっそりしたスタイル。
バレーボール教室ほか東京オリンピックを控えて様々な競技の人たちとの交流もあります。
1992年のバルセロナ大会
女子は8チームが出場、EUN(旧ソ連連合)、キューバ、中国が3強との前評判だった。
日本はA組、初戦に相手がアメリカ、2-2となり最終セットを迎える。
控えのセッターとして私がいました。(アメリカナショナルチームに入って1年目)
9-11と日本が2点差に迫る。
日本は一挙5点連続ポイントを挙げて逆転14-11とマッチポイントなるが、14-13となり、日本が粘って15-13で勝利する。
最後のポイントは私が大林さんのバックアタックをはじいてしまいました。
23歳の時でした。
EUNに3-2、スペインにも勝ってAリーグ2勝1敗となる。
日本は5位となる。
アメリカはキューバに敗れて、3位決定戦でブラジルに3-1と勝って銅メダル獲得となる。

1996年アトランタ大会
日本、アメリカともほとんど同メンバーだった。
今回も私は控えのセッターだった。
4年間正セッターを目指して練習してきたが駄目だった。
12カ国、6チームずつのリーグ戦の後の決勝ラウンドに向かう。
日本は1勝2敗、アメリカは2勝1敗で戦うことになった。
第1セット日本は9-0でスタートするが、監督から行けとの指示がありました。
なんで今なのかと思ったが覚悟を決めて行きました。
アメリカのスパイクが決まるようになり11-11になり、その後4連続ポイントでアメリカが第1セットを取る。
その流れでその後2,3セットを取り、3-0でアメリカが勝つ。
日本は決勝トーナメントには行けなかった。
決勝はキューバが中国を破って2連覇を果たすが、アメリカは決勝トーナメントで7位となる。
自分自身では貢献できたのはアトランタの方が貢献できたと思った。

1996年秋に日本の東芝シーガルスに、翌年ダイエー・オレンジアタッカーズとプロ契約をして活躍することになる。
前年6位だったのが、見違えるようなチームに変わった。
予選ラウンドは1位ダイエー、2位NEC、3位イトーヨーカ堂、4位ユニチカ。
4チームによる決勝ラウンド、1位ダイエー、2位NECの一騎打ちとなる。
ダイエーはバレー部の休部が決定していたので最後の戦いであった。
第1セット15-11、第2セット15-10でダイエーが取るが、第3セット 8-7とNECがリードその後15-11となり 3-0で優勝する。
旗を振りながらウイニングランをしました。
その後チームが存続する事になる。
全日本選手権でも優勝するが、1999年の全日本選手権でも優勝して2連覇を達成する。
この試合で退団ということになる。
外国人選手枠で来ていたので、女子の外国人選手枠の撤廃のルールがあり、引っ掛かってしまった。
残念でした。
引退の時に2連覇で優勝できて本当に嬉しかったです。(30歳)

日本名は堀江陽子、父はアメリカ人、母が堀江方子、女子バレーボールの日本代表選手。
1969年サンフランシスコに生まれ、6歳で東京に来る。
文京区立第十中学校に入学、1983年全日本中学選手権で優勝、中村高校に入学、全東京メンバーとしては、国体優勝、中村高校では春高バレー・インターハイで3位入賞を果たす。
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科へ入学、当時関東大学リーグ6部最下位にあったチームを2部優勝まで導く。

1991年2月に単身渡米し、アメリカナショナルチームのトライアウトを受験し合格。
引退後はスポーツコメンテーターとして、テレビ、ラジオ、雑誌をはじめ、講演、解説、バレー教室、エッセー執筆などで活動。

オリンピックに行けるチャンスだと思ってアメリカの代表の入団テストを受けました。
3番手のセッターを探しているということで頑張れば一番手になれると思って行きました。
アメリカの選考は公募すると言うことで日本とは違います。
体力トレーニング、インタビューを受ける時のメディアトレーニングなどもあります。
アメリカでは幅広いトレーニングがあり、練習内容はボールを持つ時間が日本の場合は多かったと思います。
他の球技に繋がるという共通点、球技に対する臨む姿勢、抱える悩みなどは他の競技でも共通する問題はあると思います。
単純には比較できないが、暴力、ハラスメントが一つの手段になってしまうのは、よろしくないことだと思います。
子供達を指導する機会が多いのでどういうふうにしていったら、どう可能性が少しでも伸びてくれるかどうか、指導の仕方普及の仕方ができればいいと思います。