石飛幸三(特別養護老人ホーム常勤医) ・エンジョイエイジング!
日本の高齢化が進んでいるといわれるが、2025年には団塊の世代と云われてきた方々の多くが70歳以上となって亡くなる人の数が多くなる多死社会が到来すると言われます。
人の死をどう受け止め、どう看取るのか、日本の社会が問われています。
石飛さんは都内の特別養護老人ホームの常勤医としての経験に基づいて、口から食べられ無くなって枯れるように自然に亡くなる死を、「平穏死」と名付けました。
そして誰にも必ず訪れる死から逃げずに老いを受け入れ、医療に縛られることも無く限られた時間を人間としての尊厳をもって楽しく生き切ろうと言います。
アンチエージングではなく老いを受け入れ、今出来ることをするエンジョイエージングの日々の中に命の最終章としてのその人らしい「平穏死」があると云います。
特別養護老人ホーム常勤医として高齢入居者の様々な人生を見守ってきた石飛さんに伺います。
特別養護老人ホームの入所者は平均年齢90歳、認知症9割、女性9割です。
日本の実体はほとんど核家族化しているので、介護するのは現実には大変なことで、その駆け込み寺が特別養護老人ホーム、だからみんなで支えなければいけない時代が来たんです。
実際には生活が成り立たない、ひどい場合は介護殺人が起きたりしているのが現実です。
われわれが想像する以上に現実は厳しい事が起きている。
24時間多職種共同で、入所者の一生をゆっくり坂を下って行ってる様子を把握して、残ったその人の人生を、どういうふうにみんなで支えてやるのがその人の本当の為になるのか。
坂を下らないで「頑張れ頑張れ」はあり得ない世界だから、人はいずれ亡くなる。
私は昭和10年生まれで、広島の郊外に育っていたので、B29が飛んでいったのを原爆を見ました。
終戦でガラッと変わって民主教育だと言いだした。
戦争を挟んで沢山の同胞を亡くして、兄もフィリピンで戦死しました。
命は地球よりも重いと言いだしたが、死ぬことを排除していった一面が残っていて切り替えが非常に短絡した状況だった。
命は地球よりも重いが、しかし我々は生き物なのでいつまでも生きられることはできない。
死は否定された、排除された、いつまでも生かさなければならないみたいなふうになっちゃって、迷い道に入ってしまった。
半世紀前私が外科医になった頃、がんは体から切り離さなければいけないと言う、当時そういう文化だった。
怪しいところは取り除かなければいけないということで外科医になって役に立とうと思った。
本当はがんは長く生きてきた印なんです。
動脈硬化も古くなってきた一つの証しです。
どこも治しようもない廃車寸前になったものを、部品修理を何処までもしなければいけないということは本人を苦しめることになる。
自分自身が還暦を過ぎるようになって、何処までも治さなければいけないということだけでは役に立たなくなる、廃車状況のものを何処までも治そうと言うのは、ほんとうにそれがその人の一回しかない人生の中で、治さなければいけないと言う義務感だけで迷い道に入ってしまうとかえって本人も苦しめることにもなる。
身体に管を付けられ牢屋みたいな状況になってしまう。
シシリー・ソンダースさんはイギリスでホスピスを作った。
その人の最終章のあり方があるんだろうと云うことで、本人に告知して本人も覚悟して、がんの末期の人が好きな葉巻をくわえたり本を読んだり、ピアノを弾いたり、それがホスピスですよ。
その人の最終章の人生が選択できる時代になりました。
段々医療で治せない人が増えてきた。
どういう言葉を掛けていいか言う言葉が出てこないなんて、人間として悲しい。
治すと云って「頑張れ頑張れ」ではおかしいと思った。
医者のもう一つの役割があるのではないかと思った。
特別養護老人ホーム常勤の医師が倒れて、替わりの人がいなくてそこに行けば現実が判るのではないかと思いました。
行ってみたら、従来の医療の考えと同じ状況が続いていました。
誤嚥性肺炎を起こしたりする、身体は受け付けられなくなってきている、しかししっかり食べるようにと云うことで、その人の必要以上にものを食べる事を要請される。
救急車を呼べば病院へは連れて行ってもらえる。
病院に行ってもしっかり食べられるような身体にはならない。
お腹の壁に胃ろうのキットをはめ込めば胃に入れられるが、口を通らないからおいしくもなんともない。
ただただ生かされている。
魂を抜かれる。
多少意識があれば「また持ってきたのか、腹いっぱいだよ」と思うが、そう言えないんです、機械扱いされている。
そういう現実を見て、どうもおかしいぞ、と皆感じていた。
こういう状態でその人の為になっているのか。
最終章に近い人が葉巻を吸ったり、おいしい物を食べたり、人間らしいじゃないですか。
医療者として生き方を考えなければいけないと思った。
真剣に介護していた家族があった。
18年介護して御主人がへとへとだった。
最愛の奥さんは認知症で18年在宅で看護していて、それは大変だったと思う。
お坊さんと人生談義して、自分も人生の本質を勉強してきた人だったから、その人が言った言葉が、ホームで食べさせようとして誤嚥して、救急車で病院へ連れていかれて、医師からもう口からは食べることは無理で胃ろうを付けましょうと云われて、「先生、お言葉だけれど自分の愛する女房は自分のことも誰のことも判らない世界に行っています。
それをただただ食べさせなければいけない、胃ろうを付けて私は恩を仇でかえすことになる」と云ったが先生は「命は大切だ、命を助けなければいけない」と言って、「胃ろうを付ければ生きられることができる」と云って「付けなければ1週間程度で亡くなる、方法があるのにしないということは、保護責任者遺棄致死罪になる」と若い医師が90歳近い御主人に云ったんです。
「ただただ生かすだけが本人への愛情ではない、ゆっくり坂を下ってゆく、それも愛情ではないか」と云いました。
呼ばれて行ってどっちが正しいか、こっちの方がよっぽど正しいと思った。
ご主人と一緒に説得して連れ帰って、亡くなるのは1週間と云われていたが、僅かな量だが好きなものを食べて1年半生きました。
本人が幸せに好きな坂を下りていけばいい、その事が皆が判ってきた。
静かに息を引き取り、やるだけのことをやった御主人はさわやかでした。
部屋の中から嗚咽が聞こえていたけれど、ぱたりとやんで、ご主人が職員に「世話になってありがとう」と言ってくれた時はみんなの心が通じた瞬間でした。
そこから変わりました。
最終章をどう看取るか、何が本当に本人の為になるのか、そこでみんな本質が判ってきました。
食べなくなって自然の麻酔がかかり眠って眠って夢の中で向こうに行けるんです、こういう仕組みになっているのかと思いました。
土に帰って行く、老木が枯れるように眠ってゆく、科学で生かせようとすることが本人の為になるのならいいが、かえってそれが迷い道にはいっていたが、ようやく皆が判ってきました。
生きている今を大事に、一日一日を大事に生きていこうと言うことを取り戻さなければいけない、エンジョイエイジングです。
アンチエージング、健康でプラス思考と云うことはあり得ない。
いずれは坂を下って行くので、その覚悟が必要です。
11年前は、最期をどうするか、まず本人の意思を一番にする、次に医者がまだ命を延ばす方法があるならば医者が決める、そこまでだった。
医療をするしない、医療が役に立たない状態もあるので、本人の最終章がどうあるべきか、みんなそれぞれ違う、そこに関わる関係者が皆意見がいえる、関係者が議論しなさい、と云うことになりました。
コンセンサスに則るようにしなさいと、云うことで大変な進歩だと思います。
2010年にまとめた「平穏死」に対する理解が進んできて有難いと思います。
ゆっくり坂を下っていけるように支えるのもリハビリの大事な役割です、そういう人がどんどん増えています。
本人の心を支える介護は大きな仕事であるが,皆が判ってきました。
エンジョイエイジング、その先には自然の摂理としての自然の死、「平穏死」に行けるといいと思います。
我々が土に帰るときには、いずれ食べれなくなって夢の中で静かに逝ける、これは「平穏死」、こういうふうに自然の仕掛けが出来ているんだとそれを知ってみんながほっとするはずです、みんな知るべきです。
今は生きているんだから、大事に今を生きよう、生き方を取り戻せると思います。