和波たかよし(バイオリニスト) ・命綱は点字楽譜
1945年東京生まれ、生まれ得て時から目が不自由で、4歳からヴァイオリンを始めました。
1962年日本音楽コンクールで優勝、国際コンクールでも上位入賞し、ソロの演奏の他国内外のオーケストラとも数多く演奏しています。
和波さんは演奏活動のほかに点字楽譜利用連絡会の代表として点字楽譜利用の促進に力を入れています。
18歳で楽団デビュー、現在73歳。
色んな仕事をしていますが、若い人たちに音楽の良さを伝えて行く、あるいは後輩たちを指導すると言うことで八ヶ岳の方で毎年サマーコース&コンサートを32年前からやっています。
今年は7月29日から8月9日まで開催します。
弟子の古澤香理さんを呼び寄せて一緒に室内楽をやります。
40年以上一緒にやっている妻の土屋美寧子(ピアノ)、田島 高宏さん(ヴァイオリン、札幌交響楽団コンサートマスター)、林 詩乃さん(チェロ)などが毎年やってくれています。
大学時代の同級生の岩崎洸さん(チェリスト)も来てくれたりします。
今年の秋には大分に行って芸術短期大学の先生と学生達と一緒にステージをやることにしていて、音楽家のスキルアップを図りたい。
最近はビオラ、ピアノの練習などしています。
視覚障害者の場合は点字の楽譜を使うことになります。
楽譜を使わず人が演奏してくれるのを聞いて覚えてしまう方法もあります。(個人差がある)
邦楽、ジャズなどは楽譜を使わないこともあります。
明治時代になって邦楽も楽譜を使うようになりました。
楽譜が見れないということはやはりハンディーがあります。
しかし邦楽を楽譜にすることはいろいろ難しいところがあります。
クラシックの方は外国でヨーロッパで作られたものをそのまま使います。
4歳の時にヴァイオリンを始めて、弘田 龍太郎先生の勧めで始めました。
音楽をやるのなら点字の楽譜を習いなさいとその時にいわれました。
小学校に上がる時には日本語の点字、楽譜も読めました。
それは非常に助かりました。
数十年前は点字楽譜を書けるのは、日本では一桁と言っていいぐらいでした。
母は私をどうやって育てていこうか手探りで一緒に楽譜を習ってきて、母も点字を覚えて、点字の楽譜を書き始めました。
クラシックになると難しく母はずーっとやってくれていたおかげで、芸術祭優秀賞をいただくようなCDを作ることができたんです。
邦人ヴァイオリン作品集とかの曲によるレコーディングも母が書いてくれた楽譜で勉強してレコーディングしました。
母の点字楽譜は膨大になっています。
私に深い愛情を注いでくれたと感謝しています。
点字は一桝に6点打つので、大変な作業です。
日本で点字タイプライターが売り出されるようになって母は直ぐに購入して使いました。
母はローマでひったくりに会った時に左薬指を怪我をしてしまい、以後力が入りにくくなりました。
僕が40代になるまで母が点訳をしてくれていました。
80年代にコンピューターで文字、楽譜を点字を打ち込むようになってきました。
紙に点のマークを付けていたが、パソコン画面上に表せるようになり、点訳する人も三桁位に増えました。
点字を考案した人はフランスのルイ・ブライユ。
彼は5歳で全盲となった。
オルガンの勉強をしていたが、盲学校で中学生のころに文字を浮き出し文字みたいにして図形を描いて、見えない人に認識して文字を教えると言うことをやっていたらしい。
その後横2×縦3の現在の6点式の点字を発明した。
友達にも教えて点字の優位性を広めていった。
43歳で亡くなるが、その時には点字はまだそれほど認められていなかった。
日本では文明開化で西洋から入って来て、明治23年に日本点字が制定される。
楽譜のマニュアルも出来て、点字楽譜も日本でも始まった。
普通の楽譜が作られてから点字楽譜が出来るまでが日本では20年位で、ヨーロッパでは200年ぐらいかかっている。
私の場合は母が古希になるまでは母がやっていて手に入れていましたが、コンピューターでボランティアの方々がやってくれるようになって、いくつかのグループが出来て楽譜を作ってもらう様になりました。
飛躍的に沢山の量が出来るようになりました。
オーケストラでどの楽器がどういうふうにやっているのかは聞くだけだったが、それも全部やってもらえるようになりました。
クラシックは楽譜によって伝えられてきた。
楽譜にリファーしながら解釈して行くのが面白い。
ワーグナーの音楽が20世紀の前半は重くゆっくり演奏したが、ナチスドイツが国威発揚に使ったと言われている。
最近のワーグナーの演奏は変わって来ているが、大筋は変わってきていない。
点字楽譜利用連絡会。
ボランティアで各地でやっていて、プリントアウトすることが出来れば他の人にも共有してもらえるのではないかということで、2005年にグループが出来ましたが、それは皇后陛下のお力でした。
楽譜はメジャーの点訳ではなかった。
楽譜の為の寄付があったが、皆で恩恵を受けられる方法が思い付かなかったが、2005年に日本点字図書館を通じて宮内庁からあって、何人かの人が相談して共有できるカタログ作りをしようということで始まりました。
会員組織にして僕が代表をやって12年間続いてきました。
日本全体での情報交換をしようということで年に2回全体の会合も行っています。
視覚障害者の人がこれから音楽をやりたいと言う人に対して、楽譜の指導をすることが我々で出来るのかなとテーマは沢山あります。
昔はマッサージか音楽かというぐらい音楽は力があったが、他分野へのひろがりもあったりして、今は衰退してきていて残念な思いはあります。
点訳グループの高齢化もしてきていて、若い人にも参加して欲しいと思います。
データがあれば自動点訳も可能になるように研究もされて来つつあります。
クラシックの様な音楽を担う人材も視覚障害者の中から育ってくる様にするには楽譜の存在は絶対不可欠ですので守っていけたらいいなあと思います。