昭和35年神奈川県生まれ、茨城大学を卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社、その後独立、映画評論家として活躍しています。
ラジオ深夜便では月に一回、日曜日の夜11時代にお薦めの映画を紹介する、「待ち合わせは映画館で」を担当。
このコーナーは先月終了。
青柳さんは平成7年から今年の3月までで22年間になります。
これを機に22年間を振り返っていただき、併せて映画との出会いや映画への思いをお話していただきます。
深夜便がなければ22年間も映画を観続けなかったかもしれない。
幼稚園の頃からおしゃべりでした。
高校生ぐらいの時にアナウンサーになろうと言う気持ちになって、語っていきたいという考え方が芽生えたと思います。
高校時代は運動会の放送、文化祭の司会などをやるようになってすこしづつ、喋ってるなあと周りに知られるようになりました。
大学時代はアナウンサーの研究みたいなものはなかったので自分たちで作って、初年度に水戸NHKのFM局を学園祭に呼ぶということを最初にやりました。
映画は子供ののころから見ていました。川崎の駅前に映画街が有りました。
5歳のころに姉といっしょに観たのが「禁じられた遊び」でした。
強烈に記憶が残っています。
もう一本は「愛情物語」でした。
ディズニーの映画も「ワンワン物語」アニメも面白い、凄いなあと思いました。
父も映画が好きでした。
怪獣映画もよく観ました。
演劇は大学生に入ってから興味を持ちました。
演劇研究会で発声練習を丁寧にやったら芝居が面白くなりました。
映画と云うものは人の人生を見せてくれるもの、ドラマチック、アクション、恋愛でも、そこに人間が映っていて自分には合っているというふうに思いました。
ドラマを共有するのは当時映画館しかなかった。
映画と生身の人間が寄り添って一つの空間をつくっていくのはいいですね。
昭和59年に文化放送にアナウンサーとして入社。
隙をみては映画を観ていました。
試写会にも出かけられ、淀川さん、小森さん、荻さんとかを垣間見ました。
淀川さんは映画に関する色んな事を立て板に水と云った感じで喋っていました。
私がラジオで映画の話をするとは思っていませんでしたが、淀川さんは或る意味でのラジオの映画語りの先生です。
淀川さんも60歳ぐらいから映画教室観たいなものを始めるが、最初は下手だったと永六輔さんが言っていました。
伝えたい思いが有り、だから繰り返す言葉が強くて「さよなら、さよなら、さよなら」につなげってゆくんです。
淀川さんが臨場感あふれる語り口で喋っていたので、それを真似て見えるように映画を伝える様にしたくてラジオ深夜便の映画の紹介ではそういったふうに22年間やってきました。
「つぐない」と云う映画の中で、一般の人には判りずらいところは、自分の中に一回落とし込んで、咀嚼してなぞ解きをしてこうではないだろうかという形でリスナーに伝えられたらまたおもしろいと思います。
年間250本 30年ぐらい見ていたとして7500本、それ以上見ているので今までにおよそ1万本観ているが、覚えているかといわれると覚えていませんと云うしかないが、時々TVで流れていたり音楽が流れていたりすると、シーンがぽこっと浮かぶようなことが有ります。
自分の心に引っかかった場面、そういったものがあります。
「サウンドオブミュージック」もくじけそうになった時にみます、好きな映画です。
*「マイフェアレディー」から「君住む街で」(音楽)
ラジオ深夜便では心の機微、そういった映画を紹介したかった。
余り有名なものよりもひっそりと小さな映画館にかかっていてロングランを続ける様なものがいいと思って紹介します。
映画の中の人物に共感出来る様な映画もいいですね。
映画の作品の中にまで入れるような作品を紹介できたら一番いいなあと思います。
日常で退屈だと思ったら映画を観ればいいと思います。
3Dになって、存在しているという映画の楽しみ方も増えて来るんだろうと思います。
淀川さんに「今までに一番という映画をあげるとしたらどれですか」と云ったときに、「おまえは馬鹿だねえ、今日観る映画が一番になるかもしれないじゃないか」と云われた時に、勝手に決めつけることはいけないと思いました。
見どころは自分で探すものだと思います。
一生に一度出会える宝物の映画が有るかもしれない。
時代のふるいに掛けられて残っているものは見直す価値はあります。