2018年4月13日金曜日

上村淳之(日本画家)           ・自然の意思を描く

上村淳之(日本画家)           ・自然の意思を描く
祖母が国の文化功労者に認定され、女性初の文化勲章をうけた美人画の上村松園、父は花鳥画家でやはり、文化勲章をうけた上村松篁と云う日本画壇屈指の名門に生まれました。
淳之さんも先年文化功労者となり、祖母、父の仕事を更に深く豊かに追求する日々を過ごしていらっしゃいます。
淳之さんは花鳥画でも鳥の世界に魅かれ、奈良市の小高い丘で多くの鳥に囲まれて暮らしています。
鳥と共に生きているという一体感を大切にし、自分を鳥の化身と思えるほどに凝視してこそ日本独自の花鳥画の世界が描けると言う上村さんのお話を伺いました。

花鳥画をやろうと言うことで、オキナグサと言う野草が一本もなかったが、種が散ってようやく増えて他の野草と一緒に育ってきた場所が出来て、ようやく頃あいになる。
そうならないと絵の対象にはならない。
梅の課題で学生に描いてもらうが、枝を切って室内で書いたものは判る。
リアリティーのある写生にはならない、余白が生きてきていない。
デッサンは再現を目的とするものではないと言うことで、デッサンが出来ているということは自分の胸中にどれだけの世界がしっかり展開したかどうかによって、デッサンができたか出来ていないか、と云う意味に理解しました。
日本画と洋画の根本的な違いです。
感性の違い、自然に対する人間と自然とのかかわりあい方の違いによって、西洋画には花鳥画が生まれたことは絶対ないです。
日本に伝えられたのは中国の作品、文化が奈良時代に到来して日本で育まれました。
中国では文化大革命などでガラッと体質を変えて、花鳥画が日本にしか残っていない。

西洋の影響を受けた人にはもう余白の意味が判らない。
余白にはそのものが存在している世界を表す空間であって、花画であれば当然花の香りがしているし、春の空気が流れている、そういう空間でなくてはいけない。
当時3回生になると人体になるが、女の人が裸になって立っていることに物凄く気分が悪かった。
書く気がしなかったが、物凄く怒られました。
裸体は描いていません。
日本画でヌードの絵が出てくるのは戦後ですね。
西洋の方がリアリティーがある中で、リアリティーの有る花鳥画が無いか探し歩いていて、ヨーロッパの美術館を巡って帰ってきました。
判ったのは西洋には花鳥画は無いということでした。
鳥の絵はいっぱいあるがそれはイラストでした。

小さい頃京都に父が家にいて、父が小鳥の小屋を幾つも作っていましたが、鳥小屋に入って水の流れを作ったりして遊びました。
動物園の飼育員になりたいと思っていました、それほど鳥が好きでした。
第二次世界大戦がはじまり、空襲があり疎開させて生活が始まります。
親が猛反対でしたが芸大に進みました。(絵描きは生活が不安定なので)
今までも相当デッサンしたつもりでもまだまだなのでここから離れられません。
交尾期に入って、鳥が雄と雌の間柄が良くないと雌が突っつき殺される、雄が発情を促すために雌の頭を突っつくんですが、雌が発情期が来て居ないと殺すほど追いかけるんです。
動物園との交換が始まって家の種類が増えて行きました。
鳥は1500~1600羽、種類は280種類位います。
生きているもの(魚など)を食べる鳥に人口の餌を食べさせるのが大変で試行錯誤を重ねながらやってきました。
シギ・チドリは日本で一番最初に飼いました。(ドックフードを食べました)

鳥を描くことはひょっとすると自分を描いているのかもしれない、デッサンが出来たという実感が持てた時は自分の化身と思えれば非常にリアリティーのあるデッサンができます。
ヨーロッパなどの一神教と日本の多神教の違いで、ヨーロッパなどでいかに一生懸命に克明なデッサンをやっても鳥は鳥で、日本人がやると人間のような鳥になっていると私は思います。
モデルにいかにこちらがいたすかによって、リアリティーのある空間になるかどうかです。
デッサンを重ねていると段々よく見えてくる。
そうするとこれで絵になるなあと思うんです、しかも日を置いて(熟成)本紙にかかりなさいと私は教わりました。
若い頃は判らなかったが段々判って来るようになりました。
自分の化身で有るかのごとき思いの中で、自分が思いを鳥に託して描こうと言うのが花鳥画なので、雀なら雀になって一緒に遊んでいるという思いの絵になって初めてリアリティーのある空間が展開すると言っても間違いではないと思います。
その点がヨーロッパと違うというところだと思います。

よほど馴染んで来ないと駄目、よっぽど対象のものに惚れこまないと駄目。
向き合う中で感情移入されて美しい存在になる。
だから日常的に鳥と向き合っていないと駄目です。
鳥を見ていると全部が不思議です。
巣作りの雄雌の役割分担が決まっている、巣作りは全部雄がやり卵を産んだら雌が抱卵に入り、その後雛になると雄雌で餌を運ぶ、糞を袋にしてくわえて持ち出す。
そうしないと臭いを嗅ぎ付けて蛇がやって来るから。
巣が気にいらないと巣を雌が壊してしまう。(極楽鳥など)

一番残念なのは不忍池の鴨を見るのが大好きで見るが、今は池に鴨が来て居ない。
池が汚れるから追い出したということです。
新種を探しに行ったりとかあるが、まずは目先のものから大事にしてやれよと言いたいです。
日本画も洋式におもねるようなものが出てきたが、もう一遍原点に返って花鳥画を極めていきたいと思っています。