2018年4月25日水曜日

水木悦子(エッセイスト)         ・ゲゲゲのお父ちゃんの背中

水木悦子(エッセイスト)         ・ゲゲゲのお父ちゃんの背中
漫画家水木しげるさんの次女、1968年にアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」が初めて放送されて今年で50年、いま改めて水木さんの作品が注目されています。
悦子さんは水木さんが93歳で生涯を終える間30年の間、同じ仕事場で漫画家生活を支えて来ました。
悦子さんは昨年発表したエッセー「ゲゲゲの娘日記」中で多忙な日々の中で見せた水木しげるさんの父親としての素顔や優しさに触れています。
そうした思い出話を伺いました。

部屋一面に本があるが、資料、描いた本とかがあります。
新聞の切り抜き、自分が載っていた記事などスクラップブックにしています。
色んな本を読んで勉強もしていました。
漫画のセリフを考えている時は鬼気迫るものがあり近寄れなかったです。
ご飯を呼ぶ役割を担当していましたが、呼ぶと集中していましたが、「おうそうか」と返事をしていました。
主に父の遺品の整理、父の載っている記事のコピーなどの整理をしています。
つい読んでしまったりして仕事が進まないです。
未完成な物があったりして驚きました。
予定帳の様なものがありますが、文章も詰まっていてネタ帳に近い様なものです。
私のテストの日なども書いてあり、気にしていたんだなあと思います。

父と一緒に家から会社まで歩いている時に、急ぐなと言われて、「お前の足元を見てみろ」と言われてゆっくり歩くことで植物の移り変わりが見られたりするので、「お前は損をしている」と言われました。
「季節の移り変わりも判るし、虫もいるし楽しいぞ」と言われてそういうものかと思いました。
子供のころから父の漫画は読んでいました。
「ゲゲゲの鬼太郎」、「河童の三平」などが好きです。
父の本を読んで「この世の中においしい話なんてあるわけがない」と身に浸みて判りました。
「錬金術」の本の中で、「いつまでたっても金が出ないではないか」、ということに対して「錬金術は金を得ることではなく、そのことによって金では得られない希望を得ることにあるんだ、人生はそれでいいんだ。
この世の中にこれは価値だと声を大にして、叫ぶに値することがあるかね、すべてまやかしではないか、はっ」、ここのセリフを読んだ時、全てがまやかしなんだこの世の中は、て。

大人になって感じることは、見えない世界は有るんだよと伝えたかったのかなと思います。
妖怪も眼には見えないけれどいるんだよ、ということだと思います。
お化けは怖いだけではなくて愛嬌が無いといけないと、必ず愛嬌を入れていました。
父がスランプになって急に妖怪はいないんだと言い始めた時に、京都に修学旅行に行った時に、障子に目の形に並んで、増えて行くのを見たんです。
妖怪なのかなあと思って、家に帰ってから障子に映るお化けはいるのか聞いたら、父はもくもくれん(目目連)というんだと説明しました。
父の目が輝き始めて、やっぱりいるんだと元気が出ました。
たったの一度見たもくもくれん(目目連)はスランプを救った妖怪でした。

「ゲゲゲの鬼太郎」については父はあまり話さなかったです。
小学校6年生の時に、いじめに遭った時があり死んでしまいたいと言う思いがあって、幸福の量を研究している人がいるということを父が話し始めて、その後「ゲゲゲの鬼太郎」の話になって、悪いことをした妖怪を普通ならやっつけて殺してしまう様な事を、父はそうはしたくなかった。
なんでかと言うと戦争でいやというほど友達、親友を10人位死んでしまった、そういうものを見てきているから、漫画の中でも殺す、死ぬと言うことをしたくなかった。
妖怪を諭して元に帰ってもらうと言う本にしたんだと言っていました。
私が死にたいと思っていたことを父は察したのではないかと思います。
「生きていればいい事もある、それは他人が判断するのではなくてお前にしか判断できない、お前にしか見つけられないことだから、もうちょっと生きて見ないか」と言われました。
その言葉が今も支えになっています。
本当は見ていてくれたんだと嬉しくなりました。
父の言ってくれた言葉に対して楽観的になりました。

「ゲゲゲの鬼太郎」では諭して、妖怪が怒るに至った原因を突き詰めて妖怪に謝ってもらう様な形を取って、元の場所に戻ってもらう。
父の戦地での経験がそういう方に生きているんだなと思いました。
戦地ではたったの2年だけれども、20年30年の経験だったものと思います。
父の戦記ものは読んだあとに凄く落ち込むんです。
なんで人間は殺し合いをしなければいけないのだろう、殺し合いの先に何があるのだろうと思う。
99%の真実に1%の誇張をいれて書いていたと言っていました。
面白い部分もあるが、読後感は凄く落ち込みます。
「生まれたら生きぬかないといけない」、というふうに言っていました。
「命は大事にするもんだ」、というふうには言わないですが。

厭なこと、いじめがあった時に落ち込んでしまうことは凄く良く判るが、その人にしかわからない楽しさ、幸せを感じることは必ずあるのでそっちの方もあるんだよということを伝えたい。
生きてほしいということは伝えたい。
粘り強く生きるように。
体験した戦記ものが出てきて、中隊長が生きられるかも知れないのに自殺してしまうくだりがあり、どんなところでも人間は生きようとしないと、神様も助力することができない、粘り強く生きようとしないと駄目だ、と書いてあります。
父は戦争からはなにがなんでも生きて帰ってやるんだと言う気持があったと言っていました。
口に出しては言わないが、行動の一つ一つが背中で物語っていて、父の背中は大草原の様な背中です。