島田雅彦(小説家) ・年をとるごとに過激になる
1961年東京都の生まれ、育ったのは神奈川県川崎市。 東京外国語大学外国語学部ロシア語学科在学中の1983年『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー、芥川龍之介賞の候補となる。 2006年、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞を受賞、2008年、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 2020年『君が異端だった頃』で読売文学賞を受賞するなど著書は多数。 常に文壇の一線で活躍してきました。 大学でも教鞭を取り2010年からは芥川賞の選考委員を務めるなど、後進の育成、教育に携わっています。 今年春、学問や芸術分野で功績を残した人に贈られる 紫綬褒章を受章しています。
私の尊敬する先達の文学者たちが、どちらかと言うと反体制であったり、異端であったりと言う風に分類されることが多いのではないかと思っていまして、その系譜に繋がりたいという思いもあります。 阿部公房、大江健三郎、大岡昇平、中上健次、古井由吉といった先輩方もそういった意味では体制派ではないので、自分から異端の立場に立ってものを考えていたと捉えていたんで、末端に連なりたいという思いからです。 最新刊が「パンとサーカス」 現状の政治の悪政、世界情勢の悪化とか、そういったことに対する批判、批評を含めた暴走という事です。 熾烈な覇権闘争が激化してゆくという感触をずーっと前から思っていて、世界史の流れはサイクルがあるのかなと思います。 アメリカの一極支配からどのような世界秩序に書き換えられるのか、長いスパンで戦争を観たりするのは小説家の得意な領分かなと思います。 長編小説であると構想から4,5年かかってしまいますから、自分で飽きないテーマを選ぶことです。 世界、世相は思ったより早く進む。 ウクライナ侵攻もそういった現象の一つだと思います。 ですからそこに追い越されないようにしなければいけない。
政治、戦争、経済も人がやる事で、プランがあり、欲望が背景にあり、思惑があり、復讐と言うような動機も伴います。 自然現象のようには論じられない。 政治、戦争に向かってゆく人を批判する私情を書く権利があります。 復讐は古代ローマのころからテーマになっていて、憎しみ、悲しみ、復讐心に共感するように物語は進んでいきますので、復讐は一つのエンターテインメントの要素にもなっているわけです。 10年以上前はデモもなかったが、最近はカジュアルになってきたし、演説も増えてきて大正デモクラシーに遡るような勢いで、政治的に覚醒されているのではないかと思います。
「パンとサーカス」の前半は若い人たちの就活小説として読めるように書いています。 メインとしてCIAへの就職という事を据えています。 非常に狭き門ではあります。 世界各国にCIAの下部組織があって協力している人々は日本にもたくさんいます。 元戦犯の人がアメリカの対アジア政策の変更に伴い、罪を免除されて、アメリカの政策に協力するようになって、戦犯から首相になった人が岸信介だったりするわけです。 CIAに就職をするという事に設定すると、あらゆる方面に顔が利くというような人物になるわけです。 政治の中枢部ににらみを利かせられるという、こういう人物になるわけです。 当初想定していなかった領域までリサーチの手を伸ばす事が出来ました。 想定していたよりも深く突っ込めたかなと思います。 後半は、他国に対して政治に関心が薄いことは何故かという疑問が私自身にもありましたから、私なりの考えを書いています。 もっと活発に議論されるべきものと常々思っていました。
学生運動はとっくに終わっていたので、私もノンポリの一人でした。 英語は得意でしたが、バランスが悪いのかなと思って、仮想敵国のロシアの文化、ロシア語を勉強すれば無敵かなみたいに考えました。 『優しいサヨクのための嬉遊曲』と言うところに結実しました。 ロシア人との交流もありましたが、彼らの人の好さとは裏腹にソビエト体制自体の風通しの悪さと言ったことをしっかり見てしまいました。 文学者は弾圧されていることは深く認識しました。 それゆえ言論の自由、表現の自由が認められている有難みは、早くから悟りました。
大岡昇平は35歳になって召集されて、死亡率97%というフィリピン戦線に送られてしまうわけです。 戦況が悪化して、反戦を唱えても駄目で仕方なく諦めていくわけです。 言論の自由を死守するという事と戦争反対は表裏一体で、言論の弾圧があると戦争反対も言えなくなる。
ウクライナ侵攻については、大原則として独立した主権国家をこのような形で軍事侵攻するという事は、許されることではない。 このままロシアのウクライナ侵攻を放置すると、強いものが侵略した者勝ちと言う前例が出来たことになるので、国際法上の秩序をいかに守るべきかと言う、コンセンサスをしっかり構築していかないといけないと思います。 この問題は日本の安全保障を考える一つのきっかけになるかと思います。 一番敵から攻撃を受けにくい安全保障体制を作るにはどうしたらいいのか、という事を最優先で考えるべきだと思います。 戦争の準備をする事ではなくて、外交の努力をするという事に尽きると思います。
「空想居酒屋」出版。 コロナ禍で家にいることが多くなり、料理スキルは上がったかと思います。 一軒家を借りて、新鮮な海の幸を料理して、その日だけの居酒屋を開店すると言うようなことをしていました。 小説に費やす時間は一日2,3時間で筆を走らせるのは1/3程度かもしれません。 妄想にふけっている時間は長いです。 パソコンなので電車の中でもどこでも書いています。 昔は夜型でしたが、最近は早起きするようになってきました。
大学では一般教養の日本文学を教えていて、一番人気はサブカルチャー論という事で、漫画、観光、聖地巡礼とか、料理、エログロナンセンスとかいろんなジャンルのサブカルチャーをレクチャーしています。 オンラインで800人でやっています。 普通のゼミ、日本研究をやっている留学生の修士論文の指導をやっています。 創作の授業もやっています。(対話的にやっています。)
先達に似てくるんだとしたら積極的に「いいくそ爺」にならなければならないと思っています。 「いいくそ爺」とは多少は我儘は抑圧したほうがいいと思います。 インターネットが無い時代にリサーチするには本を片っ端から読むしかなかったから、雑学的知識が今は教養になっていると思います。 インターネットによる検索でのリサーチでは、誰でも同じような結果が出てしまう。 レポートも似たようなものが出てきてしまうので物足りなさは有りますね。 億劫がらないでやってほしいです。
ヴェートーベンの晩年の曲はのびのびと自由にやっているという風に見えます。 それに憧れます。 最後のピアノソナタ 32番 第二楽章はどう聞いてもデキシー―ジャズに聞こえる 曲想の展開がジャズっぽいんですね。 自由さを追求してゆくと誰も切り開いたことのないジャンルの創始者に成れるかもしれないので、目標は大きく持った方がいいので新しいジャンルが創設出来るように頑張っていきたいです。