2022年6月22日水曜日

土江寛裕(東洋大学教授・陸上競技部コーチ)・それは02秒差から始まった 〜リレーを極める

土江寛裕(東洋大学教授・陸上競技部コーチ)・それは02秒差から始まった 〜リレーを極める 

土江さんは短距離の選手として1996年のアトランタ、2004年のアテネ 、2回のオリンピックに出場し、アテネオリンピックでは400mリレーの第一走者を務めましたが、スタートの遅れからわずか0.2秒差の4位となってメダルを逃しました。   その教訓を糧に引退後は強化担当のメンバーとして、北京、リオデジャネイロオリンピックでの男子400mリレーのメダル獲得に貢献しました。   2年後のパリオリンピックに向けての日本陸上競技連盟強化コーチでもある土江さんに1/10秒、1/100秒を競う陸上競技短距離種目の世界について伺いました。

日本選手権では2回優勝、100mと200m。   100mは1999年の日本選手権での優勝。 追い風3.3mで未公認で10.09秒。   僕は頭で考えながら走るタイプで、51歩で走るんですが、一歩一歩をどう走るかを考え、その時は思ったように走れたと思います。  伊東浩司さんが10.00秒を出して9秒台にぎりぎりで入れなかった。  200mは1998年の日本選手権での優勝。   元200m日本チャンピオンの土江良吉は実父。  陸上以外のスポーツをやる事は許されなくて、父親に並べることが出来て嬉しかったです。  ただその2年前に父親が亡くなってしまったため見せられなかった。   

1996年のアトランタ大会出場。  父とは90%ぐらいが陸上競技の話でした。  練習や試合の後にはビデオを見て、指導の会話がほとんどでした。  父は陸上競技は一番が勝者であと2番以降は敗者で駄目だという考え方でした。  高校総体では決勝に残ることが難しいぐらいでしたが、3番になって喜んでいたが、「そんなことで喜んで」と言って、無茶苦茶に怒られました。   指導者になって、あまり1番にこだわるのも選手にとってプレッシャーになることもあると思うので、それも大事だが、どうやったら早くなるのか研究して、実現してゆくプロセスを大事にしたいと思います。  父親との会話もほとんどそうでした。   

1996年のアトランタ大会ではうまくバトンが渡らずにゴールできなかった。  オリンピック出場が目標だったので、達成できて凧の糸が切れてしまったような感覚になってしまった。   海外は初めてだったし、時差ボケなどもあり調整が上手くいかず、リレーのときにはよくなってきたが、うまくバトンが渡らず失敗してしまった。  

2000年シドニーオリンピック代表を僅差で逃す。  2004年のアテネ大会には出場。   100mでは一次予選、400mリレーでは第一走者を務め、第4位となる。   メダルに届くようなレベルでの出場だったと思います。   1回目に緊張のあまり、スタートの音を勘違いしてフライングしたと思って止まって仕舞って、たまたまイギリスの選手がフライングして、助かった。   2回目はでかい音(スピーカからの音)に反応してしまって、普通なら0.1秒ぐらいで反応するところを0.3秒ぐらいかかってしまった。  0.2秒遅くスタートをするという大失敗をしてしまいました。  ナイジェリアが銅メダルだったんですが、僕の遅れぐらいの差で4位になってしまった。  

2006年に引退して、指導、研究へと進む。  アテネでは30歳になっていて、オリンピックの失敗はオリンピックでかえすということが、僕の原動力になっています。    いろいろやりたいことがあったが、バトンの渡し方の手法を提案しました。   バトンを貰うほうは待っていて、ある時点から加速しながら掛け声があったら手を挙げてバトンを受け取るが、或る種職人的な感覚でやっていた。   二人でバトンを渡した時間を単純に出して、その目標タイムを出して、それに取り組みました。  それに対するアイディアがいろいろ出てきて、選手たちと話しながら作り上げていきました。   バトンを渡す範囲の距離40mを3.75秒と言うタイムを設定しました。  2008年は3.75秒で、100mを走る速度も上がってゆくと、バトンタッチのクオリティーもあがってゆき、今は3.6秒台です。  リレーはお互いの信頼関係が大事で、如実に表れる競技です。   

東京オリンピックではバトンが繋がって行かなかった。  失敗してしまうようなぎりぎりのところを攻めてきていました。   オリンピック直前の世界選手権で3位に入って37.43秒でした。(ほぼ金メダルのレベル)    細かいことが沢山重なって結果としてああいう事が起こってしまった。    ぎりぎりのところを追及して、金メダルを取れるか、失格かと言うようなところでしたが、金メダルを取れるようなメンバーだったと思います。   コーチとしては申し訳ないという思いでいっぱいです。    数値化して、いろんなヒントとして得ながらも、最終的には選手の感覚にどうやって落とし込むかと言う、そういうところが一番大切な部分だと思います。   

桐生選手は高校2年生で10.19秒で高校記録で走っています。  その時から合宿に呼んだりしていました。  9.98秒を出したが、順風満帆ではなかった。   9秒台を走る選手が4人もいる状況になりましたが、中国の選手が9.83秒という記録で走ったので、我々の目指すところが2段階、3段階先になったと思います。  パリオリンピックでは100mのファイナルに残れる選手を目指していきたいと思います。  そして400mリレーでは金メダルを目指していきたいと思っています。