鳥生千恵(ボランティア団体代表) ・【心に花を咲かせて】 アンネ・フランクのバラを育て平和を学ぶ
区立高井戸中学校は「アンネのバラ」の中学校として知られています。 バラの名前のルーツになったアンネ・フランクは第二次世界大戦中、ドイツ軍によって迫害されたユダヤ人の少女で世界的に有名なアンネの日記の著者です。 中学校にアンネの父親から送られてきたのは46年前のこと。 今はその数を増やして学校や生徒そして地域の皆さんが協力して、「アンネのバラ」の管理に当たっているそうです。
バラ公開をしましたが、4日間で800人ぐらい来てくれました。 最初の蕾が赤で段々と鮮やかなオレンジになって開いて、色が薄くなって黄色っぽくなり、最後に花びらの縁からピンクにワーッと出て来ます。 4回楽しめます。 数えたら226株ありました。
50年前に小林桂三郎と言う国語の先生が「アンネに寄せる手紙」という感じで作文を生徒に書かせたそうです。 文集にしてアンネのお父さんのオットーさんに送る事になりました。 そこから交流が始まり、「アンネの形見」と言うバラが出来たらしいという事を知り、目に見える平和のシンボルとしてバラを中学校に植えたいと生徒が言ってきました。 オットーさんの交流のある大槻道子さんが知らせてくれて、直ぐにバラを送ってくださいました。 10株送ってもらって大槻さんが植えてみたら1株しかつかなかった。 次の10株のうち3株を高井戸中学に送られることになり、生育が難しいので、都立農業試験場にあずかっていただき、元気に生育した状態で高井戸中学校に6月12日に送られて、育て上げられました。 6月12日はたまたまアンネの誕生日だったそうです。 その3本が増えていきました。
3年後に育成が難しくなり、専門家の助けが必要になり、四国の松山で相原バラ園を経営している相原さんが来てくれました。 相原さんも平和への願いの強い人でした。 枝を何本か持ち帰って挿し木とかして、翌年には30株に増やして届けてくれました。 20株を高井戸中学校、5株を神代植物園、残りを近隣の小中学校へ寄贈したと聞いています。 相原さんは全国の学校が欲しいと言うと、無償で3株づつ送ってこられたそうです。 その数は1万株になるのではないかと言われています。 相原さんは数年前に亡くなりましたが、この貢献は大きいと思います。
生徒は3年で卒業してしまうし、先生も移動があり、バラに対する関心もなくなることになってしまいました。 1996年、7年の2年間は校舎の改築があり、バラの消滅の危機に陥りました。 その時に職員の三浦さん、小林さんが敷地のはずれにアンネのバラを発見しました。 その数株をお二人が挿し木などで増やしていきました。 最初は100本挿し木をして1本しか育たなかったが、凄く勉強したり、相原さんに問い合わせしたりして100%育てられるように腕を上げたそうです。 改築2年後ぐらいには200株に増えたそうです。 モニュメントも作られ今ではバラが高井戸中学校のシンボルになっています。
2004年に三浦さん、小林さんが一緒に移動することになりましたが、当時はお二人がバラの整備をしていました。 理科の先生が移動で入ってきて、バラの由来を知って、これは生徒自身がバラに関わるようにしようという事で、PTA会長の横山さんが子供たちだけでは厳しいという考えで、継続的に守ってゆくためには地域のグループを作って守って行こうという事になりました。 子供たちのグループと地域のグループが出来、今に至っています。
アンネの日記を読んで感銘を受けた園芸家のヒッポリテ・デルフォルヘさんが作り出したバラで「アンネの形見」と言う名前を付けて、父親のオットーさん、そのバラに関わったいろんな人たちの思いが凄く重要です。 そういったところを生徒は学んでほしいです。 高井戸中学校では道徳の授業があり、一人一人が平和の大切さを思うこと、ばらの継承など、いろいろな感想が出て来ます。
「アンネのバラ・サポーターズ」を18年継続してきて、年々大事なバラだな、いいバラだなあと思います。 人がバラを繋いできて、いま新たにバラが人を繋いでいる、それが感動的です。 平和は大事だなあとつくづく感じます。