2022年6月7日火曜日

宇井眞紀子(写真家)           ・アイヌの人々を撮り続けて30年

 宇井眞紀子(写真家)           ・アイヌの人々を撮り続けて30年

1960年千葉県生まれ、武蔵野美術大学、日本写真芸術専門学校を卒業後、フリーの写真家となりました。   1992年から北海道壬生谷のアイヌの女性の家に娘を連れて、毎年訪れて取材をしました。   2004年と2011年に写真集を出版、2017年には第一回笹本恒子写真賞を受賞しました。   去年の暮れには北海道津別町に住む木彫り作家ユキオさんと娘のひろ子さん孫のダイキ君とワカナさんの3世代を描いた写真絵本「伝え守るアイヌ三世代の物語」を出版しました。  アイヌの人を30年間取材して感じたこと、写真絵本に込めた思いなどを伺います。

学校の授業でデザイナーは写真を知らなければいけないという事で、写真の授業が必修でありました。   写真をやってみて、私はデザインではなくて写真だなと思いました。  卒業後日本写真芸術専門学校に行きました。  アイヌに関しては子供の時から興味がありました。   アイヌの集落にダムが出来てしまうと聖地が壊されてしまう、何とか辞めて欲しいという事をある雑誌に掲載されていました。  それを読んでどうしてもそのアシリ・レラさんに会いたいと思いました。  直ぐに訪ねたのが1992年でした。(32歳)  小学校1年生の娘がいました。  1回目は一人でアシリ・レラ(新しい風 と言う意味)さんのところに行きました。   ビックママという感じの人でした。   アイヌの伝統的な料理を時々作ったり、アイヌの衣装なども着たりして伝統を繋いでいきたいという事で実践していました。   2回目以降は子連れでお邪魔していました。(6歳) 人見知りするタイプでしたが、直ぐに馴染んでいきました。 

頑張って一生懸命やって何かを成し遂げるのがいいと思っていましたが、アシリ・レラさんから必要があればうまくいく、上手くいかなかったときはそれはいまではなくて、それをやるのにふさわしい時が来るから、と言われて気が付きました。   カムイの存在、一つの神様がいるというのではなく、あらゆるものがカムイであるという風に考えて、あらゆるものに魂が宿るという考え方をしています。   長い間一緒に暮らす中で徐々に私の中に入ってきました。   最初の2,3年は月一ぐらいで行っていました。(娘は学校を休む)  今は娘は結婚して37歳になります。   

初めての写真集は2001年です。  首都圏に暮らすアイヌの方たちを撮った写真集です。 「アイヌ 100人のいま」ができたのが2017年です。  「アイヌときどき日本人」の後、アシリ・レラさんを中心に「Asir rera:Ainu spirits」 初を2004年に出しています。   2011年には「アイヌ 風の肖像」を出しましたが、これもアシリ・レラさんを中心になっています。  モノクロが中心になっています。  

「自然を保護するなんて大それたこと、だって人間は自然の一部で、自然の中で生かされているんだから」   アシリ・レラさんが日々の生活の中で言った言葉です。 

2017年には第一回笹本恒子女性報道写真家第一号)写真賞を受賞しました。  長く一つのテーマ(アイヌ)を撮り続けてきたことが評価されたという事だと思います。  フィルムは1000本ぐらい撮りました。  ありのままを撮りました。  「アイヌ 100人のいま」はポートレートで、場所、着物などは本人が決めます。   次のステップの200人を今目指しています。   「伝え守るアイヌ三世代の物語」のひろ子さんは大阪在住でアイヌ文化に関することを広めています。   父親は木彫り作家ユキオさんで北海道の津別町に住んでいて木の町です。  孫の二人は祖父は何でもできるので尊敬しています。 ひろ子さんも北海道に移住する事になりました。   ちょど写真絵本を作ろうと思っていたタイミングだったので、必要な時に必要なことが起こると思いました。  この写真絵本はカラーになっていて民族衣装の色模様、食べ物の色とか子供にも伝えられるようになっています。