中島加名(大学院生・教育支援員) ・【人生のみちしるべ】 祖父・かこさとしの背中を追って
中島加名さんは28歳、東京大学大学院生で、現在は北海道西興部村で暮らし、子供たちの教育支援などに携わっています。 かこさとしさんが生前書き残していた童話集「くもとり山のイノシシびょういん 7つの話」の絵を担当し、去年祖父との共著として出版しています。
祖父は優しい人と言う印象はあります。 中学、高校では面と向かって話したりとかは余り無くなってしまっていました。 「ありちゃん あいうえお かこさとしの71音」に二人の孫を育てるおじいちゃんとして書かれている。 そこの孫の一人が自分だという事は後になって知りました。 (娘である鈴木万里さんがあとがきに孫とのことを書いている。) 28歳ですが、同じ年の祖父に出会って見たかったですね。 情熱は凄かったですね。
東京大学大学院人文社会研究科の博士課程に在学中の大学院生としての顔、北海道西興部村で子供たちの教育支援など地域つくりを担当する顔、中島加名というペンネームで絵を描いている顔、3つの顔を持っている。
「くもとり山のイノシシびょういん 7つの話」を昨年出版。 絵の担当を出版社から依頼されました。 中学、高校の頃は絵を描いたりする練習はしていました。 祖父は晩年はほとんど目が見えなくなっていたし腰も悪くなっていて、執念で絵を描いていました。 その絵を真似してしまうとあまり面白くない絵になってしまうんで、彼がどういう絵を描きたかったのかを自分なりに掴んで、自分なりの絵を描くという風にしないとシンクロしないと思いました。 「イノシシびょういん」の外観をどうするかと言う事は凄く悩みました。 病院を建設するにあたって、取り巻く環境がどうだったのかとかまで考えないといけないと思いました。
北海道西興部村は人口がおよそ1000人で、小学校が二つ、中学校が1つあります。 2020年から教育支援など地域つくりを担当しています。 小学校に毎日行って、アメリカの児童が二人いて、彼らの教育のサポートをしています。 通訳とか、コロナ禍でICT(Information and Communication Technology)の授業も人がいないので自分がやったりしています。 去年の夏あたりから教育支援をする塾みたいな施設を作ることもやっています。 食材に関する支援もしています。 酪農家のところにベトナムから技能実習生10数名来ていますが、生活に関してあまり村に知られていないので、イベントをやったりしています。 西興部村ではギターのボディーを作っていますが、余り知られていなくて、ゲストハウスのオーナーが新潟の音楽グループと交流があり毎年来ていたので、作曲家が公演の管理人として半年ぐらい村に来て、終わったら東京に帰るというような2拠点生活をしてる人がいます。 新潟の音楽グループの曲を編曲してもらって、村の楽器が出来る人たちに演奏できるようにしてもらったりして録音もしています。 自分が楽しんで友達が増えて行ったらいいなあと思います。
祖父のわだちと同じ道を進みたいというような思いがあり、自分が受けてきた教育環境とは違うところを見てみたくて、たまたま西興部村の話を頂いたので行きました。 祖父は子供という事に刺さるものがあったと思いますが、正直僕は子供よりも大人かなという気がしていて、子供の貧困も大人の問題なので子供にフォーカスできないなあと言う思いがあります。 外国人の子供を通して知ったのは、一人では生きてはいけないという事です。直ぐ感情がコントロールできないような子たちでしたが、彼らが安心して友達を作れるようにするのが自分の仕事だと思ったので、それをすることで半年ぐらいで感情が暴発するようなことがなくなりました。 一人では生きてはいけないという事を彼らを通して知りました。 家族の在り方も自分の中で考えないといけないと思いました。 「シェア」、何かを共有することなど、自分の中で価値観が変わっていきました。
行き当たりばったりで生きているんで、未来のこととかはあまり考えていないんですが、絵の練習はしたいです。 何を描くかが大事だと思っていて、もっと沢山勉強はしたいと思っています。 絵本は読み聞かせがあり、コミュニケーションのきっかけになるのが面白いと思っています。 祖父はもの凄くまともな人でした、真面目で丁寧で、優しくて、人格の破綻はないけれども成し遂げていることはちょっと普通ではない、そういうところが魅力がありかっこいいなあと思います。 「爺山」を目指していきたいと思います。