山田広野(活弁士・映画監督) ・【にっぽんの音】
昔、映画のことを活動写真と言ったんです。 映画もフィルムで撮られた写真の連なりになって、それが動くというかたちになり、それが活動写真なんです。 その「活」を取って、弁士というのは壇上で講演する人を今でも弁士と言っています。 活動写真の弁士、略して活弁士という事です。 今は映画に音がついているのが当たり前です。 映画が日本に輸入されて初めて興行されたのは明治時代ですが、映画の興行と同時に活弁士も始まっていました。 明治29年からスタートしています。 しゃべる台本も自分で作っていましたので、人によって違います。 チャップリンにも活弁士がついていました。 「放浪紳士チャーリーは・・・・」と言うような形で語られていました。 (ボロボロなものを着ているが正装」) 活弁士は日本だけで、海外では字幕である程度判っていただくことになります。 音楽は生演奏で海外も日本も一緒です。 映画館の専属のオーケストラの楽団がいてスクリーンの前で演奏しました。 楽団に規模は色々だったようです。 日本では琵琶法師の時代からものを語って伝えるという事が一般的でした。 日本は語り好きだと思います。(落語、講談、浪曲など)
*「血煙高田馬場」 サイレント映画の名作 伊藤大輔監督 1928年(昭和3年)公開 仇討ちもので大河内傳次郎が演じています中山安兵衛が助太刀をします。 活弁士:加藤柳美 同作品の別の活弁士:鈴木光太郎 聞き比べする。
小学校のころから映画が好きで、テレビで放送されていた映画とか、映画館などにも行っていました。 東京に出て映画の専門学校に通い、自主制作で映画を撮るという事をやっていました。 ビデオカメラが主流の時代でしたが、あえて8mmカメラでフィルムで撮ったが、作業が遅れて上映の当日を迎えてしまいました。 音を入れる時間が間に合いませんでした。 どうするんだと言われて、もともと無声映画として撮ったんだと言ってしまいました。 「弁士として説明します」と思い付きで言ってしまい、活弁士としてステージに上がる事になってしまったのが最初でした。 やってみたら楽しくてしょうがなかった。 お客さんも沸いていました。 その後活弁士の道がスタートしました。
「賭場荒らし」 昨年12月撮影。 僕も(大藏基誠)出演させていただきました。 1週間の撮影期間に2日しか時間が取れず申し訳ありませんでした。 フィルムで撮るという事でテンションがあがりました。
サイレンス映画のサイズで撮りました。(ほぼ正方形サイズ) 何から何までサイレンス映画の作り方に即して撮って生演奏に生活弁をつけるというやり方を踏襲しました。 内容は賭場を荒らす強盗がいるんです。 アウトローが主役の映画です。 僕が(大藏基誠)賭場荒らしの主役をさせていただいています。 飛行機の音とか車の音とか、しゃべり声とか全然気にしなくてよかったのが、面白かったですね。
日本の音とは、小学生のころ剣道をやって、竹刀のパシーンと言う音と打ち込むときの足の音、これは日本にしかないと思いました。 映画館を盛り上げたいという思いがあります。 新しい活弁映画をどんどん作っていきたいと思います。