2022年6月8日水曜日

大鶴義丹(俳優・作家)         ・アングラ劇団の子に生まれて

 大鶴義丹(俳優・作家)         ・アングラ劇団の子に生まれて

1968年(昭和43年)生まれ。   父は劇作家唐十郎さん、母はアングラの女王と呼ばれた女優李麗仙さんです。  大鶴さんは高校1年の時にテレビドラマで俳優デビュー、大学在学中には第14回すばる文学賞を受賞して作家としてもデビューします。   以来、映画監督、タレントとしても活躍しています。  

現在「下谷万年町物語」に取り組んでいる。   唐十郎さんが生まれ育った街を舞台に描いた大作。 1981年に蜷川幸雄さんが演出、渡辺謙さんが主役、2012年に再演、この時には宮沢りえさんが主演。   蜷川さん演出した時には僕は中学1年生で、それを観ました。   中学2年の時に父が芥川賞を貰いました。   父は「状況劇場」をやっていてそこでの脚本を書いていましたが、これはそとに対して書いたものです。   

「下谷万年町物語」の内容ですが、父が生まれ育ったのは、現在北上野と呼ばれる長屋街でした。  戦後で、アンダーグラウンドのような生活をしている人が沢山いるわけです。  不忍の池をイメージしているところがあって、落ちることによってタイムスリップして、少年だった自分がもう一度街を体験してゆく。 長屋を舞台にしていろんな事件が起きてゆく。  短くして判り易くなっています。  

小学校4年生の頃は両親が地方に芝居の公演に行く時にはよく祖父母に預けられていて、まだ長屋は残っていましたが、今はほぼなくなっていて、2軒残ってるぐらいです。  

私の役は白井と言うヤクザです。  中学3年卒業してNHKのドラマ「安寿子の靴」でデビューしました。  ちゃんと舞台をやり始めたのは30代後半からです。   2013,4年ごろから劇団新宿梁山泊に役者として参加するようになりました。    テントでの公演は凄く声をもとめられます。  声が届かなくて、音が吸われるんですね。  花園神社で大きなテントでやるんですが、救急車のサイレンの音とか酔っ払いの声とかあり、それに負けないように発しなければいけない。  親に似たのか、幸い僕は声が枯れないですね。

父の演劇をやっても、ほかが上手くなるわけではなくて、逆に外の人がやっても父の世界観を上手く表現出来るかと言えばどうかなと思います。  外の演劇、映画などとは違って、全く孤立したものですね、父だけの世界ですね。   ただ「状況劇場」から出て、映像の世界で凄く花開いた俳優は結構います。   

54歳になっていただく役柄も変わってきました。   かっこいい役をやりたいというのはほぼなくなりました。   難しい役をやりたいです。   

1月に「女優」を出版。  劇団の話を書きたいなと思っていましたが、母親が脳梗塞になり引退することになってしまって、ふっと自分の小説のなかに母親がインスパイアされるような、思い出させるような存在として書いたら面白いかなと思ったのが、書き始めるきっかけだったです。  俳優は体を壊してしまったら全部終わりだと思いました。  役者さんを描きたかった。   50歳を過ぎてもアングラ演劇をやっている役者さんもいます。   完成するまで1年以上かかりました。  女優さんには絶対かなわないと言うのが男優にはあるんですね。  男優は何とか名をはせてやろうというところがありますが、女優さんは物語にいることが一番の目的だみたいな方が意外と多いんです。   

45歳ぐらいの時に書くのはもうやめたと言うような思いがありましたが、その後数年でいくらでも書けるような思いになりました。   父とは作風が全く違います。 父は戯曲家。  最近夫婦って面白いなと思います。 恋愛から始まったとはいえ、知らない人が一緒に暮らすことは面白いことをやっているなあと最近思います。   夫婦関係のことをちょっと書き始めています。   

幼少期、家が稽古場でした。  世の中全部がこういったことをやっていると思いました。   パン屋さんへ行くと芝居はしていないなと思うとちょっとショックでした。   うちが異端だという事が判りました。   幼少期から中学あたりまでは両親は演劇に命をかけるみたいなところがありましたから、或る種ほったらかしでした。   母親は普通の親子関係でした。  授業参観にはほとんど来ませんでした。  小学4年生ぐらいには自分でお弁当を作りました。   稽古が始まってしまうと子供のご飯の時間など待ってくれないので、そこで料理を覚えました。   感情的なところは母親に似ているところは有りますが、明らかに違うところもあるし、うまい具合にまだらに入っています。   父の時代と今は時代が違うので同じようにはできないし、人間の質が違いますね。   父の戯曲の書き方はその役者に対しての、あて書きなので、読んでもなかなかわからない。   映像に残していかないと、次の世代は無理なんですね。  だから映像に残していきたいと思っています。

一直線のロードマップは作らないようにしています。 日々寄り道みたいな感じです。