2022年6月19日日曜日

長谷川清美(老舗豆専門店代表)     ・【美味しい仕事人】 豆に魅せられ世界旅

 長谷川清美(老舗豆専門店代表)     ・【美味しい仕事人】 豆に魅せられ世界旅

日本では豆腐や納豆など豆は日々の食卓に欠かせない食品です。   世界でも至る所で様々な種類の豆が健康のため命を繋ぐため、食品として大活躍しています。   横浜市の豆専門店代表のは長谷川清美さん(57歳)は、市場に出回ることがほとんどない在来種の豆に魅力を感じ、国内をはじめ世界各地の豆を訪ね歩いています。   海外へは2012年から66か国をめぐり、暮らしのなかで必要とされてきた豆の力を実感してきました。  在来種の豆を栽培し、伝えている人の生活はそのまま環境保全型の暮らしになっているという事です。 

きっかけは2009年に豆料理の本を出さしていただいたあと、好評でした。  その後世界の豆料理はどうですかと言う話を頂いて、叔母がポルトガルに住んでいるので、まずそこに行ってみようと思いました。    そこで「豆料理がいいです」と言って、作ってもらいました。   その10日後にいきなりボリビアに行きました。   インゲン豆の原産地がアンデスなので飛行機の直行便で行ってしまいました。  そうしたら豆の世界でした。  調査しようとしたらスペイン語圏で英語が通じませんで、日系人が多いので取材させてもらおうとラパス(ボリビア多民族国の首都)とサンタ・クルスに行って1か月ぐらいいて、ペルーにも行きました。   これが豆の旅のきっかけでした。

実家が北海道遠軽町で創業が昭和元年の豆専門店を営んでいました。   2001年に父のところから豆を仕入れて販売会社を作りました。    「前川金時」は地元の豆で地元で流通していました。  「前川金時」を仕入れて売ったら、おいしかったという評判でした。或るライターが取材に行ったら20種類ぐらい展示してくれました。  私も見ましたが、どこにも売られてはいませんでした。   売るとなると粒がそろっていなくてはいけないとか面倒なことが多くて販売されていませんでした。  「日本の豆ハンドブック」を出版しましたが、この時には日本を相当回りました。   豆の多さに気が付いて海外も同じなんだろうなと思いました。   それで海外も回るようになりました。   

中南米では豆がほぼ主食に近いと思います。    コロンビアのカリにシュラットと言う、インゲン豆の種を保有している世界一の研究機関があり3万8000種ぐらいあります。   そこで研究者に概要を聞きました。   品種改良するための手段に在来種の保存が必要でした。   一般の農家も尋ねました。(小農家)   カルガマントというインゲン豆などありました。    日本の物と同じようなものも結構ありました。  樹木のマメ科の植物もあります。  チャチャフルッタというそら豆の巨大なもの、30cmぐらいあり豆粒がそら豆の1,5倍ぐらいあります。    先住民のたんぱく源だったらしいです。  あくを取って塩ゆでにして食べていました。   素揚げにしたり、すりつぶしてパンケーキにしたり、ジュースにしたりしていました。  

メキシコもほぼ豆が主食です。   日本ではお米が主食で豆が大豆、発酵させていろいろな食品になった。    こちらではトウモロコシが主食でそれに必ず豆が付きます。  豆を煮てペーストにしてから炒めます。(リフライドビーン) これをストックして置きます。    トウモロコシを挽いてパンにして豆のあんこをつけて食べる。  これは欠かせないものです。  

アフリカのブルキナファソに行きました。  アフリカは中南米よりも豆に依存しています。  農村に行くと彼らは現金よりも大事だと思っていて、豆の袋を盗まれないようにどさっと寝る場所の横にあります。  トウモロコシを粉にして餅みたいにしてそれを主食にしています。   豆はササゲで種類はたくさんあります。  煮込んで大量な油を入れてスパイスを入れて主食と一緒に食べます。  マヨネーズをかけて労働者がおやつに食べます。(ストリートフード)   ササゲを粉にして売られていてそれをドーナツみたいにして揚げてスパイスとマヨネーズをかけて食べます。   

キプロスではトルコ領とギリシャ領に別れていて、入国するときにトルコ領から入ってしまって、 コーディネーターがギリシャ領だったんです。   運転手がコーディネーターの役割をしてくれて、案内してくれました。     夏だったので、さやの豆,青い実の豆を使ったレモンをたっぷり入れた煮込み野菜料理でした。(地中海料理風)    

ミャンマー(ビルマ)ではビルマ豆で北海道の遠軽町のおばあさんは「バカ豆」と言っていました。  バカのように獲れるからという事で。  遠軽町では凶作の時にも獲れて小豆の替わりに使っていました。  ミャンマーではようやく見つける事が出来ました。   昔にビルマから伝わってきたものと思います。   

興味が豆の食べ方のみならず、彼らの生活が、我々が失いかけている持続可能な農業とか暮らしとかのお手本のようなモデルだなあと、行く先々で確信しています。  彼らにこそ学ぶべきものがあって我々が言っているサステナビリティー(持続可能性)などと言っているが、彼らは地で行っているわけです。  彼らの生活こそ学ぶべきものがあると思います。 日本で言われている在来種を守る活動と言うのは種を門外不出にするために、エリアだけにするとかと言うのは逆に在来種の命を縮めることになってしまう。  私ははそれを危惧しています。  商標登録すると場所が狭くなっていってしまう。   オーナー制度を作って在来種を守る運動をしています。   他に料理教室を兼ねて豆の学校をやっています。  お豆サロンもやっています。  乾燥した豆を料理する人は物凄く少ないです。  生産者は1000軒以上回りましたが、ばらばらになっている関係を、関係性つくりをやって行きたいと思っています。