2022年6月15日水曜日

湯川れい子(音楽評論家・作詞家)    ・夢を追い続けて 2

湯川れい子(音楽評論家・作詞家)    ・夢を追い続けて 2 

1956年にエルヴィス・プレスリーがデビューしたのが「ハートブレークホテル」と言う曲でした。   それを最初に聞いたのは米軍放送でした。(20歳)   今でいうセクシーな感じの歌で頭に浮かんだのはアメリカの広大な景色で、そういうところから出てきた人かなと思いました。   それは正解でアメリカ南部の黒人教会、白人教会の影響をすごく受けて、全く何の音楽の素養もない田舎の無名の青年でした。  ロックンロールのその曲に最初に出会いました。  今まで聞いて来たアメリカの音楽とは全く違っていました。   アメリカでのロックンロール革命と言われるようなことは、日本には全然伝わって来ませんでした。    アメリカのお金持ちしか持っていないテレビの画面で、彼は黒人音楽をアメリカの茶の間に運び込んでいった。   

7月に公開されるバズ・ラーマンが作った映画「エルヴィス」があります。    これで初めて1950年代のエルヴィス・プレスリーがアメリカで巻き起こした大騒動を日本人が始めてドラマとしてみることができる。   エルヴィス・プレスリーがいたから、ビートルズがいるんだと、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーがいくら説明しても、なかなか理解してもらえなかったが、初めて理解してもらえる映像が日本にも来るんです。  

エルヴィス・プレスリーに実際に会えたのは1973年ですから、15年後ぐらいに念願がかなうわけです。  色々な知り合いとか、エルヴィスのお父さんを通じて会おうとしたが全然駄目でした。   ラスベガスでライブをやった時に願いが叶いました。   物凄く清潔感のある人でした。  ステージではどこから見ても千両役者で立ち居振る舞いが美しいんですが、実際に会うと朴訥で物凄くシャイです。   結婚して夫と一緒に結婚証明書にサインしてもらった2度目の時には、夫の目の前ですが、キスしてくださいと言ったら、赤くなって夫にお伺いを立てて、夫が「どうぞ」といったので、唇に触れるかどうかぐらいの軽いキスをしてくれて、最大のプレゼントをもらいました。   エルヴィスの父親が17歳で母親が19歳で結婚して双子が生まれて、一方は死産だったという事です。   凄く貧しかったそうです。  19歳でレコーディングの機会に恵まれ、21歳の時には世界の大スターになっていて、南部の青年そのまんまの状況でした。  

エルヴィスは「神様どうして僕をエルヴィス・プレスリーとして世にお出しになったのですか」と生涯問い続けていたという事です。   天国を与えられる人は地獄も深いと思います。   マイケル・ジャクソンの言葉ですが、「自分は人様のスパゲッテーのような気がする、世界中から何千本もの手が伸びてきて、自分のひとかけらでも貰おう、取ろうとする。」 そういうある種の恐怖心、猜疑心がある。   エルヴィスは14歳の子と出会って21歳まで待って結婚して、エルヴィスがつけてくれた護衛の空手の教師と2歳半の子と共に彼女は駆け落ちしてしまう。    そこからわずか5年で亡くなる。(1977年)    ジョン・レノンが言った言葉に「スーパースターと言うのはスーパーの力を持ったマネ―ジャーとスーパーの力を持ったタレントが出会って、食うか食われるか、殺すか殺されるか、せめぎ合いあがあって初めてビジネスとしてスターを生むことができる。」そこまでいろんな面で縛られるんですね。   「エルヴィスが亡くなって、マネージャーが生き残った。  それは本当に気の毒だったと思う。」と言っていました。  

ビートルズが日本に行ってみたいという事から、来日公演があったんですが、来日特集号の編集長を任されたが、いろいろな事情で公式会見一回でした。  永島達司さんにお願いして帰る前日に何とか40分ぐらい話す機会を得ました。   4枚写真を撮った中の一枚には私が入っていて、宝物になっています。   オノ・ヨーコさんの評をある雑誌に書いたら、それを読んだオノ・ヨーコさんが会いたいと気う事であってそれから仲良くなりました。 ジャーナリストとしての質問などはしませんでした。   それでも用心深く、絶対口には出さないことはたくさんありましたし、何重もの鎧を身にまとっていました。   ヨーコさんはあそこまでジョンを愛していても譲らなかった。  それは違うという事には妥協しなかった。  男性と女性ではものの見方も価値観も違う、東洋と西洋でも違う、何が本当に正しいか、何が本当に正しいとしたら人を傷つけないこと、人を傷つけないで愛を全うできること、これは難しいです。    仲良くしてたらいいじゃないと思うが、そこがヨーコさんは違ったんですね。  そこが一番世界に理解してもらえなかったことでしょうね。   ジョンが撃たれて亡くなって、血に染まった眼鏡をジャケットに使ったが、私は理解できなかったが、ジョンが亡くなった日以来、アメリカでは今何人の人が今日銃で殺されているか、数字を毎日出しているんです。  銃の規制を訴え続けてきている。  大変な衝撃でした。   

1万年以上も前から人は戦争をしている、人間が生んだ子供を人間が殺している、なんで世界は法律を作らないのか、国連があるんだったら、食物連鎖のトップにいる人間が人間を集団で殺してはいけないという事、全世界の法律にしてほしいと思います。  戦争は始めてしまうとなかなかやめられない。    1996年ぐらいにマイケル・ジャクソンは「アース・ソング」と言う曲を作っているが、人間の環境破壊の歌で警告し続けてきた。    もう水と食料の奪い合いが始まってきてしまっていると思っていますが、どうやって分け合ったり、食料を増やしたりしたらいいんだろうと、武器を作ったり持ったりするよりも前に、先に考えないといけないことだと思います。オノ・ヨーコさんにいろいろな戦争についてのコメントを伺うと「もしあなたが望むなら、その戦争は終わる。」 といつも同じ言葉が返って来ます。  

今自分にできる事は限界があるが、自分にできる事を精一杯やる事を楽しみとする。   沢山の友人がいた方がいいです。   交流ができるという事は素晴らしいことだと思います。   輝ける時間が少しでも多いと幸せだと思います。