前川陽子(歌手) ・【時代を創った声】
12歳の時にNHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』の主題歌を歌って、歌手としてデビューしました。 アニメ「キューティーハニー」や 「魔法使いサリー」などの主題歌や数多くのCMソングを歌ってきましたが、その後20年間に渡り活動を休止します。 2001年にジャズシンガーとして活動を再開しました。 活動を再開してから20年目に入っている前川さんに伺いました。
人形劇『ひょっこりひょうたん島』は脚本:井上ひさしさんと山元護久さん 1964年から69年までNHKで放送されました。 前川さんがこの主題歌を歌いました。(12歳)
沢山オーディションをして、東映児童演劇研修所からは私を含めて20人ぐらいが受けに行きました。 宇野誠一郎さんが声を聞いた瞬間に決まっていたと言っていました。(つい最近聞きました。) 九州から東京へ出てきたのは小学校5年生の3学期で、そのあと母が勝手に東映児童演劇研修所の研修生募集へ応募しました。 ダンス、歌、芝居など全部やっていました。
『ひょっこりひょうたん島』がスタートしてからはCMなんかが物凄くオファーが入ってきて、午前中は学校でそれからスタジオに入るとか、睡眠時間は4時間ぐらいでした。 明けがたでも録音がありました。 1歳8か月で歌は歌っていたと母は言っていました。 音楽は空気みたいなものでした。
その後、『魔法使いサリー』(1966年)、『リボンの騎士』(1967年)なども担当。 かっぱえびせんなどのCMソングを1000曲近く歌いました。
学校との両立は胸を張ってできていましたとは言えませんでした。 頭の中は音楽でいっぱいで食事をしている時にも何を食べたかとか頭の中にないような状態でした。
高校3年生の時から休業しました。 仕事では周りは全員男性でしたが、学校では女性であまりに周りの子と違うのに気付いて、ギャップが大きかったです。 その後普通の学生をしていました。
18歳の時にジャズシンガーのサラ・ヴォーンを生で聞いて、衝撃でした。(大学生)
そこから歌い手さんというものに意識し始めました。
その後「キューティーハニー」(1973年)が来るわけです。 渡辺岳夫先生の事務所に行って歌ったら決まりました。 渡辺岳夫先生が自分の癖をちゃんと取っといてねと言われて嬉しかったです。 好きな曲でした。 エンディングの「夜霧のハニー」もいい曲です。
渡辺岳夫先生がわざわざ私のために書かれた曲が『魔女っ子メグちゃん』でした。(1974年)
その後又休業、精神的に健全でありたかった部分があったのかもしれません。
2001年にジャズ歌手としてCDを出しました。 自分で歌いたいように歌いたいという制限なしにやりたかった。 父がジャズが好きで小さいころから聞いていました。
ジャズと日本舞踊を幼稚園からやっていて、長唄、小唄、端唄、清元などで踊っていたので、常時聞かされていました。
2011年制作アルバム 「ラブ・トランペッターズ」から
*「 The Good Life」 歌:前川陽子
これからは又ゼロに戻って、ジャズのCDとか、ジャズに限らず作ってみたいなあとは思っています。